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野球の国から 高校野球編

 2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。その記念大会へ向け、日刊スポーツが総力を挙げた連載を毎日掲載します。

新着コラム

79年夏の甲子園、延長18回裏、星稜・堅田から箕島・上野が左中間へサヨナラ打を放つ

見ている方まで息が切れ、胸が苦しくなるような練習がこの日も始まった。前田100万石の城下町・金沢が若葉に包まれる5月。小坂町南の星稜(石川)グラウンドでは、壮絶な個人ノックが繰り広げられ…[]

05年夏の甲子園で明徳義塾は出場辞退となり馬淵監督(中央)は取材に応じる

明徳義塾を率いる馬淵史郎は「松井の5敬遠」で世間から猛烈なバッシングを浴びた。受理されなかったが、迷惑をかけたことで辞表を提出。その後、02年夏の全国制覇を成し遂げるまで、批判的な投書は…[]

92年夏の甲子園 明徳義塾戦で星稜・松井秀喜は5打席目も敬遠

86年秋に馬淵史郎は阿部企業の監督を辞任した。日本選手権では決勝まで進んだが、負けた試合が最後の指揮になると腹を決めていた。準優勝を区切りに-、といった格好のいい理由ではなかった。馬淵社…[]

92年夏の甲子園で星稜・松井に5敬遠の指示を出した明徳義塾・馬淵監督(右)は投手の河野に声をかける

馬淵史郎率いる阿部企業は86年に都市対抗初出場を果たす。初戦の相手は優勝候補の三菱自動車川崎。当時、豪快な打撃で「神戸の暴れん坊」の異名を取ったが、さすがに分が悪かった。そこで馬淵は一計…[]

笑顔で取材に応じる明徳義塾・馬淵監督

阿部企業に入社した1年後に、馬淵史郎にとって母校三瓶(みかめ)高の恩師で、当時阿部企業の監督だった田内逸明が急逝した。コーチ兼マネジャーだった馬淵は過酷な日々から解放されると思った。しか…[]

2007年岐阜大会決勝、阪口監督(右)がエース森田貴之のほっぺを手ではさむ

ニックネームはずっと「鬼の阪口」だった。22歳で東邦監督に就任し猛練習を課し、徹底して鍛え上げた。すぐに選手が口々に言った。「あれは鬼やな」。当時は、野球界によくある隠語。選手間でだけ監…[]





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センバツ開幕 呉-市和歌山ほか3試合/速報中
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