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野球の国から 高校野球編

 2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。その記念大会へ向け、日刊スポーツが総力を挙げた連載を毎日掲載します。シリーズ1は「追憶」と題し、甲子園を沸かせたスター選手から、長嶋茂雄氏のように甲子園には出場できなかった選手までスポットを当て、高校野球の長い歴史を振り返っていく大河連載です。

新着コラム

米ロサンゼルスへ出発する日本高校選抜。左から大阪桐蔭・萩原誠、天理・谷口功一、大阪桐蔭・和田友貴彦、沖縄水産・大野倫

大野は甲子園が終わってから、右肘の故障について監督の栽弘義と話した記憶はない。ただ、人づてに言葉が伝わってきた。「大野を壊してしまったことを申し訳なく思っている」と言っていること。95年…[]

高校時代に受けた右ひじの手術跡を見せる大野倫さん

主将の屋良景太は、沖縄の自宅でくつろいでいた。甲子園は2年連続の準優勝に終わった。那覇空港では前年の5000人には及ばないものの、1000人の県民が待ち受けて拍手を送ってくれた。厳しかっ…[]

91年夏の甲子園で準優勝に終わり、マウンドの砂を袋に詰める大野

大野は覚悟を固めた。大阪桐蔭との決勝戦の前夜。神戸市内の宿舎で監督の栽弘義から右肘をマッサージしてもらった。春先に痛め、ずっと痛みが取れない右肘だった。大野も栽も、とっくに限界を超えてい…[]

91年夏の甲子園、準決勝の鹿児島実戦で一打逆転サヨナラのピンチを脱しガッツポーズする大野

宇部商との3回戦も、大野は5点を取られた。5回までは2安打で二塁も踏ませぬ投球を見せていたが、6回に2点、7回に2点、8回に1点を失った。4回までに6点のリードをもらいながら、7-5の辛…[]

91年夏の甲子園、1回戦の北照戦で9回2死から3点を取られた大野

甲子園入りした直後だった。神戸市内の宿舎で、大野は監督の栽弘義に呼ばれた。部屋には2人しかいないにもかかわらず、栽はささやくように言った。「甲子園では痛いながらに工夫して投げなさい」痛み…[]

笑顔を見せる大野倫さん(2017年6月撮影)

沖縄大会の初戦。美里工との試合は、まさかの接戦になった。2点を先制され、5回に敵失絡みで何とか逆転した。6-4の辛勝だった。大野初戦からギリギリの戦いでした。僕自身、アップアップの状態で…[]

91年、練習中に痛めた右ひじを触る大野倫さん

日本一という目標が、現実的になってきた。2年秋は九州大会の1回戦で延長14回の末に鹿児島実に敗れ、センバツ出場は逃した。その鹿児島実は九州大会を制覇。唯一、苦しめたのが沖縄水産だった。大…[]

90年8月、準優勝の沖縄水産ナインを那覇空港で出迎えた約5000人の県民

大野が2年生だった90年、沖縄水産は甲子園で快進撃を見せた。◆1回戦7-1高崎商◆2回戦12-5甲府工◆3回戦5-2八幡商◆準々決勝8-5横浜商勝ち進むうちに、スタンドに配布されるうちわ…[]

91年8月、夏の甲子園決勝の大阪桐蔭戦で力投する沖縄水産の大野

当初、野球部の同級生は約70人いた。だが、最後まで残ったのは23人だった。1日でやめた者もいれば、「練習着がなくなった」と、よく分からない理由で去った者もいた。大野あの頃は沖水(沖縄水産…[]

91年8月、甲子園大会に向け練習する沖縄水産・栽監督(右)と大野

大野は草刈りをしていた。沖縄水産に入学したばかりの春だった。鎌を持って慣れない手つきで刈っていると、監督の栽弘義も隣で草刈りを始めた。しばらくは草が切れる音だけが響いていた。ふと栽の手が…[]





野球

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