東の早実か、西の池田か。新聞に82年夏、第64回全国高校野球選手権大会の優勝候補が挙がった。池田は大型右腕の畠山がいて注目を浴びたが、早実(東東京)は1年夏から5季連続甲子園出場のエース荒木大輔に華があり、話題の中心だった。

 3年ぶり出場の池田は、開幕前の甲子園練習でも目立たなかった。8月3日、本番の舞台を確かめるため代表校に割り与えられる練習は3日目を迎えた。畠山は夢に見たマウンドに立つ予定だった。

 しかし、台風10号の影響もあり、早朝まで降った雨でグラウンドが使えない。

 「甲子園に着いて、向かったのは室内練習場です。そこでの練習が終わり、球場内を眺める時間が設けられました。ベンチ前からバックネットにかけた人工芝部分に入ることができて、グラウンドを見せてもらいました」

 東京では前日2日、台風の余波で巨人の多摩川グラウンドが水没した。3日は東日本を集中豪雨が襲い新幹線がストップ。関西に移動するはずの早実など関東の代表校が、東京駅で足止めになった。

 「甲子園練習のイメージってないんです。ピッチング練習だけはしたと思いますが、室内で練習したっていうのも実はあんまり記憶になくて」

 甲子園練習でマウンドに立てなければ、実際の試合で投げるまでそのチャンスは巡ってこない。剛腕畠山の真の姿はベールに包まれたままだった。

 畠山が大会前の行事で印象に残っていることとして話すのは、開幕前日に行う開会式リハーサルでの異変だった。

 「入場行進の予行の前に出場校は室内練習場で待機しました。ぼくらは他のチームと同じように集まっていたんです。グジャグジャといっぱいでした」

 そこに早実がいなかったのだという。

 「当時の早実ってすごい人気だったので、別扱いだったんですね。僕らは、あれ? 早実がいないなって気づいて。要は別の所で待機していた。すごいねえっていう話をみんなでしました」

 早実は80年夏に準優勝しており注目度は一番。池田は輝きを内に秘めていた。

 「大輔の存在を知ったのは僕が高校1年の夏です。大輔が甲子園で投げるのを見て、すごいなと思いました。3年生になって、夏の大会の組み合わせ抽選会で初めて会いました。報道用に2人一緒のところを写真に撮られました。僕らの代からすると、荒木大輔っていうのはスーパースターですよね。今もそうです」

 池田の初戦は大会第2日の8月8日、静岡が相手と決まっていた。

 「僕らの方がノンプレッシャーだったかもしれない。僕らは初めて出た甲子園だったし、やっと出たからほっとしたような感じもありました。大輔の方が5回全部出て、最後の夏に優勝というプレッシャーがあったかもしれないです」

 池田と早実が直接対決し、大会の主役が入れ替わるのは第12日の18日、もう少し先のことだった。(敬称略=つづく)

【宇佐見英治】

(2017年7月5日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)