永年、プロ野球界に携わってきた。まさか、野球の世界に分業システムが導入されるとは思ってもいなかった。野手では代打、代走、守備固めといった役割は前々からあったが、完全な分業制にまでは至っていなかった投手部門もそうだった。以前は勝ちゲームの締めくくりといえば、まず間違いなくチームの先発-完投形のエース。一番信頼のおけるピッチャーがマウンドに上がっていたものだところが、現在の投手起用は先発-中継ぎ-抑え、とはっきり区別。両リーグともタイトルまで設けて表彰しているのは、専門職と認めた扱いの証しだ。

 過去にさかのぼった“投手の心得”。投手たる者、先発に上がった以上、まずはパーフェクト、ノーヒット・ノーランを狙え。その夢破れるならつぎは完封、完投を目指せ。そして、相手に先に得点を与えるな。頭にたたき込まれていた。理想である。願望でもあったが、現実になった時の達成感たるや投手冥利(みょうり)に尽きるというもの。もちろん、完全試合など達成したことはないし、KOされてストレスをためたこともあったが、当時のローテーション投手は中3日の休養で登板。調子のいいピッチャーなどリリーフ登板は中1日どころか、連投するケースも多々あった。だから、あの頃の各チームのエースはほとんどの人が年間300イニング強をこなしていた。西鉄(現西武)時代のチームメート故・稲尾和久氏みたいに2シーズンも400イニングを越す投球回数を投げた怪物もいた。分業制を導入した今、もう1シーズン300イニングを越す投手は出てこない。ピッチャーに対する考え方が根本的に変わっている。我々の時代、リリースポイントを体得する場合は投げて、投げて、投げ抜いて体で覚えるアドバイスを受けた。連日300球、400球と投げ込むストレート、変化球の手から球が離れるポイントの感覚をつかむのに必死だった。15年ぶりかな。久々にプロ野球界に戻って間近でピッチング練習を見た。キャンプでのブルペン。連日じっくり拝見した。気になったのは全体的に投球数が少なくなっていること。いまひとつはシーズンを通してだが、投げる球数少ないのに肩、肘の痛みを訴える選手が多いこと。そして、一度故障すると完治するのに1年ぐらいかかる人もいた。不思議だ。我々、大体は1週間か2週間休養したらピッチングを始めていた。当然肩の強弱はあるが何故……。疑問が……。元阪神のチーフトレーナー猿木忠男氏の話を思い出した。

 「いいですか本間さん。自分の高校時代かプロ入り直後を思い出しながら聞いて下さいよ。本間さん達、当時、毎日練習で何球ぐらい投げていました……。そうでしょう。今言われたように1日300球から400球ぐらい投げていましたよね。それでも肩、肘などを痛めることはほとんどなかった。あの頃の練習ではあたり前の投球数。なんでも体験して体で覚える時代。毎日300~400球投げて肩等が壊れてしまう人は投手廃業でエースになれなかった。だから当時、プロにはいってくる投手はすべてをクリアしてきた人達なんであまり故障することはなかった。今時の人。知ってますか……。高校の時から100球前後ですよ。投げ込んだりすることなく、ゲームに合わせたピッチングしかしない。だから肩は少々弱くてもエースになれるんですが、プロにはいって毎日投げたりすると壊れてしまうんです」

 なるほど、ある意味分業制の原点かも-。確かに自分がユニホームを着ていた頃を振り返りながら聞いていると、なかなか説得力のある話だった。今や肩は消耗品だという時代。外国人のピッチャーなどはイニング数とか、投球数も契約条件のなかにはいっている時代。かつて、1960年代の中頃、巨人宮田征典投手がデビューした。その代名詞が“8時半の男”リリーフ専門のピッチャーで、ゲーム後半の8時半以降しか登板しないことからついたニックネーム。1965年には先発は一度だけ。69試合に登板して20勝5敗の成績は立派。この頃はまだセーブ投手の制度はない、制定されたのは1974年。宮田投手、リリーバーのはしりかもね。

 過去に登板過多で肩、肘、腰等に変調をきたして球界を去った人は計り知れない。現在でも同じ故障が引き金となって退団する人はいるが、無理がたたっての退団は減少している。監督経験者も今や「はじめのうちは、調子のいいピッチャーを代えるのは怖かったが、疲れが出てきたピッチャーより、生きのいいピッチャーの方が抑えてくれる確率は高い」と歓迎している確かに最近ではペナントレースを戦っていくうえで、チームとして先発-中継ぎ-抑えとしっかりした勝利の方程式が確立されていないと、長いシーズンを通して優勝争いしていくのは困難な時代になっている。個人的にも投球数、投球回数は守られて登板過多は解消された。リリーフで生き甲斐をつかんだ投手がいる。選手寿命が延びた。肩はピッチャーの命である。分業制、球界の“進化”とみていいはずだ。

【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)