日刊スポーツ恒例のオフ企画、木曜日は「こんなん知ってますか!?」です。阪神タイガース関連の話題を中心に「そうやったん?」と少しだけ「へえ~」と思ってもらえる話をシーズン中の密着コラムなどでおなじみの高原寿夫編集委員がお届けします。高原流“阪神トリビア”に注目です。第1回は「異例!? 大阪出身虎の将」です。

2025年大阪万博の開催が決まり、景気を含め、大阪を中心にいろいろ盛り上がってくれればありがたいな~と思うこのごろ。阪神の浮上も大きなカギだが、そこに“もってこい”の状況が生まれているのをご存じだろうか。

ずばり、地元・大阪出身監督の誕生だ。矢野燿大は50年前のきょう12月6日、大阪市平野区で生まれている。地元の少年野球チームから始まり、大阪市立桜宮高に進んだ。大学以降は東北福祉大、中日と地元を離れたが、97年オフのトレードで阪神に加入。再び大阪、関西に戻った。

「生え抜き」ではないにもかかわらず、矢野について最初から阪神の人だったように感じることが多いのは地元出身という要素も大きいのかもしれない。言葉も大阪弁そのままだし、まさに大阪出身という感じである。

ここに少しだけ不思議な状況がある。関西は「野球どころ」として知られる。関西出身の名選手が多いのは、今更、言うまでもない。だが兵庫県だったり、京都府だったり、奈良県だったり、和歌山県だったり。大阪も多いが堺市をはじめ、近隣都市出身が多い。はっきり言えば大阪市の出身者は意外に多くないという傾向がある。

特に阪神にそれがある。今でこそ「阪神タイガース」だが、いわゆる親会社の阪神電鉄は大阪市福島区にあり、かつては「大阪タイガース」を名乗っていた。だが大阪市の出身でいわゆる名前、実力ともに備えた名選手になったのは岡田彰布だけではないか、と言われている。さらにそこから監督になったのは、実に岡田1人だけだ。

少しだけ前監督、元監督の出身地をさかのぼっても金本知憲は広島、和田豊は千葉、真弓明信は福岡。岡田を挟み、星野仙一は岡山。さらに野村克也はようやく関西だが京都だ。大阪からは岡田だけ。そこに2人目として続いたのが今回の矢野だ。

このタイミングでの「大阪出身監督」誕生。偶然ではあるが、実にうまくできている。矢野本人はどう思っているのだろうか。

矢野 そうなんですか? それは知らなかったですね。なるほどねえ。そうなんかなあ。でもボクがどうこうというより、阪神が頑張れば大阪も関西も盛り上がっていくと思いますしね。そういうことも考えてやっていきたいと思いますね。

勝利ももちろん「ファンを喜ばせよう」という狙いを持つ新監督・矢野。大阪万博開催の25年まで監督を務めれば7年間、猛虎指揮官としては史上最長となる。(敬称略)(編集委員・高原寿夫)

◆阪神の監督 1936年(昭11)に球団が初戦を行って以降、83年の歴史の中で、矢野燿大監督は34代目、25人目。複数回務めた監督が8人おり、吉田義男は3度就任している。

05年、リーグ優勝を決め、宙に舞う岡田彰布監督
05年、リーグ優勝を決め、宙に舞う岡田彰布監督