元号は「昭和」です。令和、平成の前の世界で、1985年の出来事です。昭和60年、日本列島は「猛虎」に熱狂した。象徴となったのが4月17日、甲子園での巨人戦。劣勢を跳ね返す3連発が春の甲子園に舞い上がった。バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発…。以来、その光景は伝説になったけど、打った本人たちは、さほど興奮していなかった。

掛布も岡田も自分が打ったことより、バースにやっと出た本塁打を喜んでいた。「どうもバースの状態がよくなかった。しかし、あの1発で、打線が吹っ切れた。これでいける。そっちの方が実感として残っている」。これは掛布の言葉だった。

そして猛虎の進撃が始まり、ついにリーグ優勝、日本一にもなった。だから4・17は忘れることのない記念日となって、いまも語り継がれる。それが37年前のこと。我々世代は覚えているが、いまの多くの阪神ファンには「ピンとこないし、いつまで、それにしがみついているの」との声が多くある。

あれから37年後の4・17を迎えた。しかし新たな伝説は甲子園から遠く離れた千葉で生まれた。佐々木朗希である。2試合連続完全試合はかなわなかったが、連続アウト記録を継続したまま、マウンドを降りた。

続投? 交代? 翌日のワイドショーでガンガンに取り上げられていた。

ここまでくれば、異次元の世界だ。バックスクリーン3連発から37年、世界は変わり、野球は新たなステージを迎えている。こんな投手が現れたことの驚きと、人間の能力の可能性を改めて感じる1日になった。

そこで甲子園に話を戻す。巨人との3連戦、タイガースは何とか2勝1敗、勝ち越して、まずはターニングポイントを越えることができた。それが僕の見立てである。この3連戦を迎えるまで阪神は1勝しかできていなかった。もし甲子園で巨人に連敗するようなことになれば…。監督の矢野は本当に追い詰められていたに違いない。そこまで矢野を擁護する声と、非難する声は五分と五分といった感じであったが、巨人戦の結果次第では大きく動くことは明らかだった。連敗を伸ばしていたら、ファンのフラストレーションは一気に高まり、擁護派も反転するに違いない。

巨人戦は阪神にとって、栄養剤になる代わり、劇薬になる。常に影響力のあるカードというのは今も昔も変わらない。すなわち、万が一、3連敗でもすれば、矢野の気持ちは揺らぎ、球団としても何らかの動きがある。僕は戦前、そんな予測でいた。

コロナ禍でマスコミの取材は制限されている。これまで、こんな成績なら球団幹部は常にトラ番に追われ、発言を求められてきた。今年の場合、公式コメントとして出たのがオーナーのそれだけ。矢野体制に言及し、いまのままで戦ってもらう…という内容だった。そらそうだろう。オーナーが「これから考える」とか「白紙」とか口にするわけがない。

かつてトラ番に囲まれた阪神のオーナーが時の監督の采配について「作戦はスカタンですが」と口にし、一気に大騒ぎになったことはあった。そんなことはもう起こらないし、球団としていまは見るしかない、との姿勢なんだろう。

だが、球団側からのアクション、コメント、方向性がまったく出てこないのが、僕的には納得しかないのである。今シーズンから球団の体制が大きく変わり、新球団社長が誕生した。シーズン前、矢野体制を支え、バックアップしていく、と声を大きくして船出していながら、この危機的状況の中、球団としてのバックアップの方法論すら聞くことがない。

これも取材規制によるものなのか、僕にはよくわからないが、先にも書いたように、大きな山であった巨人戦を2勝1敗で乗り越えたことで、ひとまず窮地は脱した。それでも借金がひとつ減っただけ。大型連勝しない限り、借金はなかなか減らない現実は残ったままだ。いずれにしても、また人事を揺るがす山が必ずやってくる。そこまでにどれほど巻き返せているか。もうシーズンの7分の1が終わる。【内匠宏幸】(敬称略)

(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「かわいさ余って」)