昨年12月上旬、日本ハムの田宮裕涼捕手(25)にインタビューをする機会に恵まれた。その内容は会員用のサイト「日刊スポーツ・プレミアム」で近日、公開予定だが、私は田宮の言葉の中に、昨年末に阪神への移籍が決まった伏見寅威捕手(35)の姿が重なって仕方なかった。
端的に説明するならば、田宮は伏見の後輩に接する姿に深く感銘を受けた、ということだった。伏見が自発的に、ライバルとも言える後輩捕手にアドバイスをしている様に、いたく心を打たれた、という趣旨だ。
私は、田宮の言葉を聞きながら、遠い日のことを思い出していた。1989年のことだ。日本ハムで正捕手の座をつかんでいた私だったが、シーズン前に思いがけない補強に直面した。若菜嘉晴さんの加入だった。その時の私の思いは「どうして今、若菜さんをとるのだ?」と、やや憤りに近いものだった。
このままがっちりと正捕手の座をゆるぎないものにしたかった。それがチームにとってもプラスになると信じていた。しかし、球団はそうは考えていなかった。ベテランとなってはいたが、若菜さんの経験は私にはないものだった。まだまだ私と若菜さんを競わせて、さらにレベルを上げたかったのだろう。それだけ若菜さんの引き出しは豊富で、率直に言ってうらやましかった。
当時、パ・リーグでは西武森祇晶監督が伊東勤を育て、セ・リーグでは野村克也監督が古田敦也を教えていた。はっきり言って、うらやましかった。それぞれ名捕手と言われる監督が直接指導する。それも実戦の中で出てきた課題を、容赦なくではあるがその場で叱責(しっせき)してくれるのだ。かつ、翌日も試合で使われる。すなわち、叱責は大切な教訓として彼らの血肉となっていた。
その金言によって成長する姿を、伊東とは西武対日本ハムの試合の中で、古田はテレビなどのメディアを通して、まざまざと見せつけられた。当時、西武もヤクルトも強かった。下位に沈むことが多かった日本ハムの私にとって、伊東、古田の境遇はうらやましくて仕方なかった。
そんな他者をうらやむ私に突きつけられたのは、若菜さんというベテランとの競争だった。当然、心中穏やかというわけにはいかなかった。しかし、若菜さんはそんな私のささくれだった心情をよく理解しているかのように、穏やかに実に大きな度量で接してくれた。
ピッチャー心理を知ることの大切さ。そしてそれはピッチャーによって、アプローチを変えなければならないこと。タイミングも重要だ。核心に触れるやり方も相手によって変えなければならない。考えることは無限にある。そして、無限にトライアンドエラーすることで、捕手は投手との信頼関係をよりよいものにすることができる。
そんなことを若菜さんは、ベンチで私の側に来てくれて、話しかけてくれて、説明してくれて、教えてくれた。私が当初若菜さんに抱いていた警戒心は、やがて氷解し、気づけば若菜さんからひとつでも多くを学ぼうと、素直になっていたことを思い出す。
田宮にとっての伏見は、まさに若菜さんのような存在だったのではないか。それは、経験があるという言葉では片付けられない。田宮は、分け隔てなく声をかけ、アドバイスを送る伏見の姿を目に焼き付けている。つまり、その言動を驚きを持って眺めながら、その意味を田宮なりに深く考えていた、ということだ。
なぜ、ライバルを成長させるようなことをするのか。自分の出番が減るようなことがどうしてできるのか。そういう目先の視点ではなく、伏見がチームに対して、日本ハムの捕手のレベルを上げるために行動していることを理解した上で、そのありようを見て、学ぼうとしていたんだと感じた。
私が考える捕手が成長する瞬間というのは、具体的に挙げることができる。それは、ひとつには失敗した時だ。そう、試合の重要局面で打たれた時だ。成功した時は、投手のボールがキレていて、制球が良くて、従って打者が打ち損じている。それは成功ではあるが、私にとってあまり記憶には残らない。成功体験は、私には滋養にはならなかった、ということだ。
反して失敗は、心に刻まれる。それも、投手が投げたがっているボールと、捕手が出すサインが異なる時、その光景は常に脳裏に残る。自信があるボールを投げたい投手と、打ち取れる可能性が高いボールを選ぶ捕手。両者の選択は異なることが多い。
そして、だ。ここで捕手の意見が通り、捕手の戦略の元に投じたボールを打たれた時、捕手はまざまざと自分の考えが打者に対して及ばなかったという現実を突きつけられる。これは、逃れることができない。認めるしかない。たとえ、投手の制球が悪かろうが、打者の技術が上回っていようが、捕手の敗北ということにほかならない。
その失敗こそが、得難い負の経験として、捕手を大きく成長させてくれる。そこから学べる捕手は、この失敗をいかようにも応用させ、さらに高度な勝負の場面で、またレベルの高い試練を味わうことができる。
もうひとつ、捕手がぐんと成長できる時、それは先述したが豊富な経験を持つ先輩捕手の金言ということになる。それはなぜか。その金言の裏には、先輩捕手が身をもって経験した失敗があるからだ。教訓に裏打ちされたアドバイスは、まさに授業料を払ってでも聞くべき言葉だ。
若菜さんしかり、伏見しかり。現役捕手でありながら、後輩捕手に伝えようとするところに、捕手ならではの、捕手にしか分からない心の機微、投手との繊細なやりとり、そして、失敗を捕手が請け負う覚悟、さまざまな学びがある。
若菜さんの話には、常に捕手の立場、そして投手の思いという両者の考えを踏まえた言葉にあふれていた。そこに、ベンチの思惑というファクターも織り込まれ、深く考えるにふさわしい中身が詰まっていた。そこまで考えるのか、と私は若菜さんの言葉の中に、今まで見ようとしなかったさらに深い捕手の役割の重さを見た。
どちらかといえば、田宮は口が重い方だろう。そこは若い時の私に少しだけかぶるところがある。その田宮が、伏見から受けた恩義について、目を輝かせて話す様に、私は深くうなずきながら聞くことができた。伏見の思いは、少なくとも田宮には伝承されている。まず、伏見から学んだことを田宮が、今季実戦の中で生かすことができるか。
恐らく、失敗したとしても、必ず伏見から学んだことが田宮を救う場面はこれから何度も訪れるはずだ。そして、やがて月日が流れ、田宮が30代になり、30代後半になった時、今度は田宮が後輩捕手のそばに座り、話しかける日が来ると、私は感じた。
そうやって、捕手は捕手を育てる。捕手が捕手のレベルを上げ、レギュラーの座を奪われたとしても、その捕手にしかできない役目を最後までまっとうするのだ。
私は若菜さんに深く感謝して現役を終えることができた。この捕手たちのマスクを奪い合う闘いと、先輩から後輩につながれる系譜は、表裏一体と言えるかもしれない。若く、強肩で、打てて走れる捕手田宮。その田宮が伏見から受けた薫陶は、近い将来大きな花を開かせると信じる。(日刊スポーツ評論家)





