棋士の加藤一二三・九段(77)が、20日の対局に敗れて引退した。

 対局を振り返る「感想戦」を行わずに帰ったと聞いて意外に思った。WBCの直前、2月末に取材の機会をもらった。品川の喫茶店で落ち合った加藤九段は、感想戦を大切にしていると強調していた。

    ◇  ◇    

 相手と感想を言い合うのを、1時間くらいやる。その後、家に帰ってまた、対局を振り返る。感想戦はお互い誠意をもってやるが、興奮したりしていますから、後になってみると『おかしかった』もあって。

 囲碁の世界は勝負が終わってから朝まで、5時間くらい研究するんですって。一緒にふろに入ったり、食事をしたりしながら。すごいですよ。心が通っている。本当に勝負だけの世界なら、感想戦なんかしません。まして時間をかけて。感想戦をやれると言うことは、両者の間に心が通っているということなんですね。僕は長い時は1週間、同じことが頭から離れない。あの時はこうだったのでは…。それが、簡単に結論が出ないから考える。研究すること、そこが一番面白い。

 約100局戦って、ライバルだった二上達也九段(故人)。1時間ほど感想戦やって、1週間しないうちに将棋会館で会った。二上さんも悔しい。負けて悔しい。ふに落ちなかったみたい。割合僕も引っ掛かっていて家で研究していた。来たときすぐ『悪いけど公式戦で勝って感想戦、感想戦で3連勝ですよ』って。

 升田幸三名人(故人)は、僕が勝つと3時間くらい感想戦をする。先生が勝つと、感想戦はなしなの。ユニークな方で。ハッキリ言って分かりやすい人。名人、天才的な。ある意味仲が良かったから。2時間やって朝の4時くらいになって、中途半端だから帰るに帰れないってなったりね。

    ◇  ◇    

 なぜ感想戦の話題になったかと言えば、そこに野球との接点を見いだしていたからだった。

    ◇  ◇    

 僕は実は、野球について一番素朴に興味があって、素晴らしいと思ったのが、研究をしていること。特に今の野球は研究が進んでいて、いろいろな形で感想戦というか、反省や研究を重ねて対戦に生かしていると聞きました。将棋は駒を動かしていくからできるが、野球はだって、動いているプレーについて反省したり、研究したりしている。ある意味、すごい世界だなと。

 映像をワンシーンを見ただけで、全部思い出せるんだと思う。1つのきっかけがあると全部思い出せる。例えば自分はこういうプレーしたけど、Bのプレーだったらこうなっていた。Bのプレーをしたとき、相手はこういうプレーをし、その時、自分はこうしただろう。想像するにこんな感じでしょう。立派な世界だと。我が将棋もまったく同じで。

 でも、ですよ。将棋はほとんどの場合、考えの通りに手が進んでいく。野球は違う。ストライクと思って投げて、実際ストライクかも知れないけど、ボールと言われることもある。風、雨、寒いも日々、違うし、お客さんもいる。盤上に紛れはないが、野球にはさまざまな不確実性が介在していて、勝負を分ける可能性だってある。それでも、その上で研究を重ねて、真剣勝負をしている。そこに面白さがある。すごい世界だな、と。

    ◇  ◇    

 「プロ野球の歴史は長い。素晴らしい世界」と敬意を払い、勝負についての共通項を語ってくれた。「僕、生涯最大の業績。名人になっていなかったら、人生の半分は寂しい。それほど大きい。プロ野球でどう言ったらいいか…日本シリーズを3度くらい勝っているとかなり胸を張れますね。3度なると。すると生涯、胸を張れる。そのくらいですかね」。

 「神武以来の天才」と言われることが好きではなかったという。研究を重ねて理詰めを極めたから、62年10カ月もの間、勝負の世界に身をささげられたのだと思う。理詰めという固い下地に心の強さも重ねた。「勝負の前提は攻め」「一手は10の220乗ある」「直感精読。直感こそ最善の事が多い」「兆しを逃すことは愚」「平凡では大勝負に勝てない」「心のどこかに遊び心を忍ばせておくといい」…ソファから身を乗り出して、顔を近づけて語ってくれた1時間30分。圧倒され、取材を終えると力が抜け、東京駅をすぎてようやく山手線の逆回りに乗っていることに気付いた。

 “ひふみん”の愛称でチャーミングな言動が注目されている。テレビで、リズムを無視して「ラブストーリーは突然に」を熱唱する姿を見た家人が固まっていた。取材後の感動を話していたから、ギャップに驚いたのだった。「ある一面でしかない」と言った。

 感想戦を行わなかったのは、心底悔しかったからか。対戦相手と心を通わせ、理詰めを重ねるために研究する必要が、もうなくなったからか。宝物になった17400字のテープ起こしを読み返しながら考えた。【宮下敬至】

(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)