日本一の陰に、小倉清一郎有り。26日、横浜市内のホテルで、横浜(神奈川)の部長、コーチを歴任した小倉清一郎氏(73)の「育成功労賞」を祝う会が行われた。小倉氏は、横浜、横浜商(神奈川)、東海大第一(現東海大静岡翔洋)で約40年間高校野球に尽力。特に、横浜では前監督の渡辺元智氏(73)の右腕として、緻密な「横浜野球」を全国に知らしめ、甲子園をわかせた。一線を退いた後は、データを集約した「小倉ノート」を出版したほどだ。

 祝賀会では、小倉氏のこんな功績も語られた。今夏、埼玉勢として初の全国制覇を飾った花咲徳栄の岩井隆監督(47)は、広陵(広島)との決勝前夜に電話をもらったという。「小倉さんから『絶対取れるぞ、絶対取りたいよな』って電話をもらって。心強かったです」。細かいことを言わなくても、甲子園決勝を何度も戦った“師”の言葉は、力になったに違いない。

 今秋の明治神宮大会で37年ぶり2度目の優勝を飾った日体大・古城隆利監督(48)も、そうだった。「指導について相談した後、小倉ノートの原本のようなものが送られてきました。それを書き写すことから始めました。この秋、37年ぶりに優勝してはじめて『よくやった』と言ってもらえました」。柔和な古城監督の言葉が熱を帯びていた。

 横浜高校の長浜グラウンドに立つ小倉氏には、鬼気迫る迫力があった。「野球やめちまえ! 」という声が飛ぶのもザラだった。それでも「マジで怖いっす…」と話していた選手たちが、卒業後“鬼コーチ”に連絡を取るケースは少なくない。こてんぱんに怒られことが「愛情」だったと分かるからだろう。300人も詰めかけた祝賀会は、本当に温かいものだった。小倉氏は「もう疲れた」と言いながら、また全国を飛び回り指導を続ける。【和田美保】