8強進出をかけた、7月23日の富士森との5回戦。

駒大高の4番・大根田拓也(3年)は、8回裏1死一塁の場面で併殺に打ち取られると、一塁ベースを10メートルほど駆け抜けたところで頭を抱えた。

悔しい表情を浮かべたが、グラブを手にすると、すぐに切り替えて走りだした。向かった先は、9回のマウンド。

大根田はエースで4番の二刀流右腕。身長170センチで、投手歴1年未満ながら、先発投手として懸命に腕を振った。しかし、左足の状態は万全ではなかった。

    ◇    ◇    ◇   

昨夏は強力な3年生投手陣を擁し、西東京大会8強入り。新チームの目標は、甲子園出場に定まった。

しかし、秋季都大会は2回戦敗退。課題は2試合で14失点の投手力だった。10月に練習試合でダブルヘッダーを行うと、1試合目に10失点、2試合目に20失点ほどを重ねたことがあった。

外野手の大根田は、歯がゆさを感じていた。

このままだと後悔する。それならば、自分が投手をやってみようか。

そう思い立ち、自ら投手転向を志願した。チームメートからは「本当にやるの?」と驚かれた。

なぜなら大根田は、軟式野球部だった中学1年の頃に、1カ月ほど投手を経験しただけだったからだ。

それでも決意は固かった。「このチームはバッティングは本当に良い。投手陣も良ければ、優勝を狙えるはず」。試しに練習試合で先発すると、3回を無失点。5回、7回とイニングを伸ばしても、無失点の試合が続いた。

仲間からの評価も変わった。「もっと球速が上がれば、いいところまで狙えるチームになる」。そう言われると、ますます練習に精が出た。

120キロ台だった球速は135キロまで上がり、鋭いスライダーも投げられるようになった。今夏は初めてエースナンバーを託された。

「先発として気分を崩さないように、というのは大事にしている」。気分屋ではなく、味方を盛り立ててくれる投手のほうが守りやすい。野手を務めていた時に感じていたことを生かし、マウンドからの声かけにこだわった。

「点を取られた後は“締めるぞここ”って言ったり、セカンドに向かって“次、飛んでくるから準備しとけよ”って声をかけたり。(声かけは)当たるっちゃ、当たるという感じです。ぜひ期待しておいてください」

6月下旬の放課後練習で、大根田は自信たっぷりに笑っていた。その時はまだ、思わぬアクシデントに襲われるとは、思ってもみなかった。

    ◇    ◇    ◇   

大会が始まる1週間ほど前。打撃練習中に左太ももを肉離れした。全治1カ月半。歩くことすらできないほどだった。

それでも、川端教郎監督(40)は知り合いの整骨院に頼み、治療が受けられるように手配をしてくれた。1日に2回ほど治療へ向かう日もあった。

おかげで7月21日の府中東との4回戦には何とか間に合い、7回からの3イニングを投げ切ることができた。

2年連続の8強へ。7月23日の富士森との5回戦で、大根田は「4番・投手」で出場を果たした。だが、万全ではない状態で挑んだ試合は、苦しかった。

    ◇    ◇    ◇   

0-0で迎えた6回表に2点を先取されると、9回表にも1失点。得点圏では、3度打席が回ってきたが、なかなか1本を出すことができなかった。

それでも、マウンドに上がれば、悔しさを押し殺した。「気分を崩さないように」という言葉通り、130キロ前後の速球とスライダーを、粘り強く投げ続けた。

しかし、9回114球の粘投は届かなかった。0-3で敗戦。三塁側スタンドへのあいさつを終えると、大根田はその場で泣き崩れた。

    ◇    ◇    ◇   

試合後は、決してケガを言い訳にはせず、ともに戦った仲間への思いを口にした。

「みんながマウンドへ向かって『大根田、大丈夫だよ』と声をかけてくれて。だからこそ、粘りの投球ができたと思います」

いつもは声をかける立場だった。でもこの日は、仲間からの声に支えられた。

大会が始まる前、大根田はマウンドから声をかける理由を教えてくれていた。

「投手1人で野球をやっているわけじゃなくて、後ろで守ってくれてのチームなので」

1年に満たない投手歴。全治1カ月半のケガをおしての登板。声をかけ合った夏のマウンド。

大根田拓也はかみしめる。野球は1人じゃないということを。【藤塚大輔】