【批判集まる中、応援の声も】
SNSのダイレクトメッセージやコメント欄は細かくチェックしている。松坂恭平さん(40)の元には多くの批判的意見が集まった。「でも、理解してくれている人からのメッセージも思った以上にあるんですよ。サラリーマンだったり、『業種は別ですけど職人です』って方だったり。『高くて買えないけど、応援します(笑い)』というのもありました」。
この夏、スポーツメーカー「ONE 4 ALL」を立ち上げた。第1弾商品は野球のグラブ「ONE OF THE ANSWER」だ。完全オーダー品の価格は8万8000~13万2000円(税込み)。物価の上昇はスポーツ用品にも及ぶ。原材料の牛革の高騰で、今年から最大手メーカーのグラブオーダー基本価格が7万円を超えた。それを大幅に上回る13万円は逆の意味で価格破壊。「高すぎる !! 」の声が相次ぐのもうなずける。しかし、「今は手の込んだおいしい料理を作る人でも、そうでない人にも同じ料金を支払っている状況なのかもしれません。いいグラブを作ってくれる職人さんに見合った対価をお支払いしたいと思うんです」。応援の声は物価上昇の一方で、賃上げは一向に進まない、労働者の共感だった。思いを打ち明ける恭平さんは野球とともに歩んできた。兄は西武、レッドソックスで活躍した松坂大輔さんだ。
2歳上の大輔さんと同じように小学生の時に野球を始めたが、中学時代は江戸川南シニア、横浜高と名門を歩んできた兄とは違い、区立中学の野球部から都立篠崎高に進んだ。「1年の時は松坂恭平でしたが、2年生からは松坂の弟と呼ばれるようになりました」と振り返る1998年(平10)、兄は甲子園で春夏連覇を達成して、西武にドラフト1位指名された。同じ右腕投手の恭平さんは孤軍奮闘でマウンドを守り、3年夏の東東京大会で本塁打も放ったが、甲子園は遠かった。
進学した法大では原因不明の肩肘の痛みで、投手を断念。卒業後、スポーツブランド「アンダーアーマー(UA)」の日本総代理店に入社したが、休職して2年間独立リーグ愛媛で野手としてプレーした。職場に復帰後の2010年にUAが野球事業を開始すると、グラブの開発や販売に携わった。プロ選手も製品に納得して契約を結んでくれたが、そのレベルのグラブは1人の職人が1日2個しか作れない現実があった。「最初は国産にこだわって、ていねいに作っていたけど、利益を求めていくと国内だけでは間に合わなくなった。中国生産も始めたが、一般に販売する物のクオリティーは落ちました」。
【プロ使用の品質を一般に届けたい】
プロが使っている高品質なグラブを一般にも届けたい。そんな思いが、UAの野球事業が終了した2021年に本格化する。会社を離れ独立した。信頼できる職人との出会いもあり、あらためてグラブをはじめ、革製品を勉強した。日本レザーとイタリアンレザーの歴史をたどると、日本は長く革に携わる職人のままなのだが、イタリアはある時から職人が商人になり、商品のブランド力という付加価値を高め、高収入を得ていったことを知る。「僕のやることは商品に付加価値をつけていくことだと思います」。
同じ革製品なので、ランドセル工場に足を運んだ。毎年春、翌年新入学する子供のために、行列ができる店舗も兼ねた作業所で、10万円を超える高級品から売れていった。工程を見学すると、手作業ながら分業が進んでいた。1人で革からパーツを裁断、縫製して、ひもを通して組み上げていくグラブ製造が、いかに煩雑かを実感する。「それを見た時、確信しました。グラブも10万円だと。それでも安い。ランドセルに代用品があっても、グラブがないと野球はできませんから」。自然に口にした確信…。こうしてクオリティーに自信のあった「ONE OF THE ANSWER」の価格は決まっていった。
「職人さんは1日2個、1週間で10個、1年間で最大520個作れる計算です。そこまで作らなくても、収入は格段に上がるし、余裕ができればお弟子さんを雇えて、技術を継承できます。そうやって、トップクオリティーが一般化されていけばと思います」。
それにしても、高品質の材料をそろえ、今まで以上の工賃を支払うと、価格を上げても大きなビジネスにはなりにくい。「そうですね。だから、こだわりの周辺アイテムを作っていきます」。取材前日も恭平さんは都内の靴磨き職人の店を訪れた。世界一を掲げて、作業代金は1回1万円の職人から革製品の取り扱い方など勉強も続けている。こうやって信頼される商品製作によってブランド力を高め、ほかの道具、アパレルなどにつなげていく計画だ。
子供のころからグラブ磨きが大好きで、無邪気な低学年のころ、きれいにしようと水たまりで洗ってしまい、父親からしかられた。中学時代は大輔さんのグラブも磨いた。そのおかげかどうかは分からないが、プロ入り後、兄は高校生の弟に刺しゅう入りのグラブをプレゼントしてくれた。「『KYOHEI』なのに『KYOUHEI』って『U』が余分でしたけど」。
大輔さんは入団当初は国内大手や海外メーカーとグラブの専属契約を結んでいた。しかし、こちらも根っからのグラブ好きで、晩年は有名無名を問わず、気に入ったメーカーを使用していた。中日時代は「松坂の使っているあのグラブは何?」と話題になり、職人だけの小さな会社が一気に有名メーカーになったこともあった。
【松田と柳田が使ってくれた】
恭平さんは今、自分が手がけたグラブ4個をスーツケースに詰めて各地を回っている。取材現場でサンプルを見せてもらった。UA時代から交流がある巨人松田宣浩内野手(40)と柳田悠岐外野手(35)が、品質に納得して今季使ったものと同じモデルだ。革の種類は違うのに、ともにしっかり、しっとり手触りがいい。松田のグラブは指先から手首まで31・5センチと内野手として国内最大級だが、軽く感じた。革質もあるだろうが、重心のバランスをていねいに調整しているのだと思う。柳田の外野手用は逆に小ぶりな印象だが、指先まで神経が行き届いているような強さを感じた。松田の大きさ以外は、驚くべき仕掛けはなく、シンプルなデザインだった。「革製品は自分で手入れをすることで、自分になじんで、自分の物になるんです」。13万2000円が適正価格かどうかの答えは、大事に使い込んでから分かるのかも知れない。
【兄貴も好きな言葉を社名に】
かつて西武担当記者時代に18歳の大輔さんに出会った。その関連で17歳の恭平さんの試合も取材した。少年たちも人生経験を積み、兄は引退して次の道を探し、弟は新たな挑戦を始めた。社名は恭平さんが好きな言葉の「ONE FOR ALL」にちなんだ。「兄貴が好きな言葉でもあるんですけど、1人が人のために何ができるか? それを社名にしているのは、稼ぎたいってよりは、稼がないといけないと思っています。その1つは稼いだお金でそれこそグラブを買えない子たちに提供してあげたい。学生には学割を考えたいんです」。そのために社長兼セールスマン1人、職人1人で始めたグラブ作り。思いはしっかりキャッチした。【特別編集委員・久我悟】