思わず苦笑したのは15日午前2時前。1本のショートメールが返ってきたときだ。仕事柄、夜更かしなのだが翌朝早くから予定があった。阪神敗退のモヤモヤした気持ちを抱えながら普段より早めに就寝。まどろんでいたが着信音で気づき、液晶画面を見た。

「高原さんにもメディアにもいじめられたのでしばらくゆっくりします。ありがとうございました!」

前日のCSファイナル、ヤクルト戦を最後に阪神監督を退いた矢野燿大からだった。前日夜に「お疲れさまでした」というメールを送っていたことを思い出す。それに対する返事だろう。真面目な矢野らしいな、と思った。

この日、矢野の辞任会見が行われた。たっぷりしゃべったようだ。阪神に限らず、プロ野球の監督は移り変わりが激しい。4年前の就任時は希望が広がったもの。しかし矢野だけではないがコロナ禍の難しい状況の中、虎党が望んだ優勝の夢は果たせず、終わりを迎えた。辞任会見なしで去っていく場合もある。表現は適切ではないかもしれないがマシな最後だろう。

「文字通り、命をかける覚悟がないとできないでしょうね。阪神の監督は。今回を見ていてもそう思います」。最近、ある阪神OBが言っていた。監督になってもおかしくないと思うその人は「阪神監督」に恐れをなしていた。

現役時代に人気を博した選手でもひとたび監督になれば当たり前のように批判が集中する。ファンはもちろん、矢野が言ったように評論家を含めたメディアも同様。矢野も評論家のときはそれなりに批判していた。避けて通れない宿命だ。

有名になったが矢野は「学校の先生」になることが夢だった。自身に影響を与えた教育者がおり、その人にあこがれていたからだ。だから自分が上に立つ立場になって「監督」というより「先生」のイメージが強かったのだろう。

「信じてもらえないかもしれないけどチームのムードは悪くないんですよ」。連敗時、あるコーチからそう聞いた。「学校」とは言わないものの独特のムードだったこの4年間をどう生かすかは選手次第だろう。

監督が誰でも選手がやること、やらなければならないことは同じだ。18年の最下位を受け、就任した矢野の4年間はすべてAクラス。だが優勝には届かず、批判を受けた。さあ来季も批判の日々か。それとも。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)

退任会見をした矢野監督(左)は職員から花束を受け取る(撮影・上田博志)
退任会見をした矢野監督(左)は職員から花束を受け取る(撮影・上田博志)
矢野監督(右)は阪神電鉄本社で退任会見をする。左は阪神タイガース藤原オーナー(撮影・上田博志)
矢野監督(右)は阪神電鉄本社で退任会見をする。左は阪神タイガース藤原オーナー(撮影・上田博志)
阪神電鉄本社で退任会見をする矢野監督(右)。左は藤原崇起オーナー(撮影・上田博志)
阪神電鉄本社で退任会見をする矢野監督(右)。左は藤原崇起オーナー(撮影・上田博志)
阪神電鉄本社に入る矢野燿大監督(撮影・上田博志)
阪神電鉄本社に入る矢野燿大監督(撮影・上田博志)