2009年の神奈川大会準々決勝を回顧する。

8回表2死一、二塁。4点リードの横浜隼人は横浜の3番・筒香嘉智を敬遠した。筒香は相手投手の今岡一平をにらみつけたあと、ベンチの方にも目を向け、悔しさを押し殺すような表情で一塁へと向かった。

観客で埋め尽くされた横浜スタジアムの内野席から「4点もリードして、敬遠するのか!」とヤジが飛んだ。前年優勝校、高校通算69本塁打を誇る筒香の一発を見に来たファンも多かったはずだ。マスクを被った船木吉裕捕手は一瞬弱気になったが、ベンチにいる水谷哲也監督の笑顔を見て落ち着くことができた。

「怯むな。弱い犬は、弱いなりにずっと噛みついとけ」。

監督から言われた言葉を思い出し、筒香を2度敬遠。横浜打線を分断し10-9で勝利した。横浜隼人はこの勝利で勢いに乗り、甲子園初出場。常勝軍団で固められた神奈川大会で、甲子園に春夏通じて初出場したのは24年ぶりの快挙だった。あれから13年。初出場校は出ていない。そして今年も。

それほどの偉業を、あの年の横浜隼人はやってのけたのだ。


■2009年のハマトラ旋風を思い出す「前嶋監督」の存在

今年の横浜隼人に、あの時の船木にそっくりなキャッチャーがいた。前嶋藍主将(3年)。持ち前のパンチ力と二塁送球1秒台の強肩。失投を逃さない勝負強さにプロのスカウトも注目する逸材だった。2009年、当時5歳だった前嶋は、横浜隼人が決勝で桐蔭学園に勝った瞬間は横浜スタジアムで試合を見ていたという。あの日見た「ハマトラ」のユニホームを着て自分も甲子園に行きたい。そう思い入学したが、現実は簡単ではなかった。1年からベンチ入りし、捕手出身の水谷監督から一番怒られた。投手の失点はすべてキャッチャーの責任と言われた。

最上級生になってキャプテンに任命されると、水谷監督から「前嶋監督」と呼ばれるようになった。仲間がふがいないプレーをしたときは、監督より先に怒って士気を上げた。そこも「船木先輩」とそっくりだった。

横浜戦は、前嶋が組み合わせが決まった時から楽しみにしていた対戦だ。オセアン横浜ヤング時代の後輩、横浜・緒方漣(2年)との再会を心待ちにし、3回裏には自らのバットで横浜にとって今大会初失点となる先制点を叩き出した。

「地に足つけるぞ」

「俺たちはチャレンジャー」

「ここから、ここから!逆転の隼人だ」

前嶋が明るい声でベンチを盛り上げると、8回裏に好機が来た。1-1の同点で2死一塁。打者は前嶋だ。が、申告敬遠。バットを振ることなく一塁へ走って向かった。「公式戦では初めてでした」と前嶋。9回裏も1死一、二塁で1番・上本蓮夢(れん)が申告敬遠をされ満塁策を取られる。2者凡退に抑えられたあとの、延長10回表。5番・大坂啓斗に勝ち越しの三塁打を打たれて2-4で敗れた。

「戦術ですから」。試合後、2009年の逆のような展開になったことに対し、水谷哲也監督は多くを語らなかった。そして「コロナ禍でスタートして大変な状況で最後まであきらめず一生懸命やってくれた。1日でも長く試合をやらせてあげたかった。監督の力不足です」と声をつまらせた。その横で、気丈にふるまっていた前嶋は水谷監督について聞かれると目から大粒の涙を流して、声を絞り出した。

「優勝旗を水谷先生に渡してあげようと思ってきたけど、横浜高校の校歌を聞いて涙がでてしまった。水谷先生には人として成長することを1年生の時から教えてもらいました。感謝しかありません。次のステージでもこの言葉を忘れずに頑張っていきたいです」。

甲子園出場後9季連続で8強入りをしていた横浜隼人だったが、18年春からは低迷が続いていた。そんな状況下でも今春は部史上2番目に多い58人が入部。前嶋のように、甲子園だけではない人間教育の指導に魅力を感じているからだろう。2009年を思い出させた、5回戦の熱き戦い。横浜隼人のように「鍛えてうまくなるチーム」の健闘が今年の神奈川大会で目立ったように思う。2009年以来の「初出場校」は現れるのか。楽しみに待ちたいと思う。【樫本ゆき】

横浜相手に10安打を放つも2度の申告敬遠で打線を分断された横浜隼人だが、前嶋は最後まで笑顔で仲間を鼓舞し続けた
横浜相手に10安打を放つも2度の申告敬遠で打線を分断された横浜隼人だが、前嶋は最後まで笑顔で仲間を鼓舞し続けた