史上初の「センバツ6勝投手」。51回2/3、696球を投げた今大会は、林にとってコロナ禍に翻ろうされた3年間の思いをぶつける大会となった。中学時代の恩師、駿台学園中・勝谷大コーチは「この優勝は、謙吾の人柄が引き寄せたい運ですね」と話した。「あの子は周りの仲間に『こいつのためなら何とかしたい』と思わせる、優しさと負けん気を持っていて、誰よりも努力する野球小僧なんです」。

中1のとき、山梨開催の関東大会で朝5時半から宿舎で1人バットを振っていたのが林だった。自らのバットで全国大会を決めると「素振りって大事ですね!」とニッコリ。勝谷コーチは「活躍しても『仲間のおかげ』が先に出る選手でした。センバツで6試合投げましたけど、高2の夏までメンバーに入っていませんでしたから、投げすぎということはないと思います。コロナ禍に翻ろうされた中学時代を含めて、投げられる喜びを感じた大会、甲子園を存分に楽しんだ大会だったと思いますよ。自分で勉強した知識でしっかりセルフケアして、夏に向かうはずです」と頼もしそうに語った。

中学時代からの林の取り組みは立派だった。駿台学園中のキャプテンを務めた2020年、他の部活動と同じように中学軟式野球もすべての全国大会が中止に。どこにもぶつけられない憤りを抱えて苦しんだのは林も同じだ。そこから気持ちを切り替え体作りにシフト。日常の食事に加えて、栄養指導担当者・久保翔平氏(故人)の薦める中学生向けのプロテインとサプリメントをお昼休みに摂り、体重を半年間で6キロ増量した。交代浴やアイシングも学び、疲労を残さないケアマネジメントも率先して行っていたと言う。

中3の秋、代替大会となる東京都の大会が開催され、駿台学園はライバル上一色中(江戸川区)に公式戦無敗の73勝2敗2分で中学野球を終えた。このとき林が9冊目の野球ノートに書いた言葉に勝谷コーチは感心させられたという。

「『もっと自分が成長できるように頑張りたい』というタイトルで、喜びよりも感謝の言葉がつづられていました。指導者だけでなく、保護者や審判団、栄養指導の久保さん、学校の先生、たくさんの人の名前が書かれてありました。緊急事態制限の中、オンライン指導してくれた日体大野球部の辻孟彦コーチや、佐藤恵太トレーナ-、間接的に気にかけてくれた佐相眞澄監督(県相模原)への感謝もありました。あの時、大人は何もできない無力さに直面していましたが、子どもたちはそんな大人をちゃんと見ていたのでしょうね。謙吾のノートを見てそれに気づきました。感謝の気持ちを、自分の活躍で恩返ししようと頑張る子。そういう考えが今回の優勝にもつながったのだと思います」。


■OBのヤクルト清水も激励 駿台学園中の後輩も昨夏日本一に

コロナ禍で大会がなくなり進路選びも難航していたが、吉田洸二監督が都の新人戦を観戦しており「あの背番号10の投手いいですね」と林を褒めたことがきっかけで縁がつながった。「甲子園」が一番の夢だった林は「高校は寮に入って野球を思い切り練習したい」と希望し、東京・足立区の実家にも帰省しやすい山梨学院に入学。吉田監督、吉田健人部長の指導に加え、昨年まで臨時コーチを務めた元横浜の小倉清一郎コーチ(79)から戦術を学んだ。オンライン授業の影響で慢性的な肩痛を負い「高校デビュー」は遅れたが、リハビリ中も中学時代から続けている股関節、肩甲骨の柔軟性をキープ。140キロに満たない球で空振りを取り「緩急」という思考にたどり着いた。

「柔よく剛を制する。球速より球の回転数と配球術を重視した投球は誰もが真似することができて、中学生にもお手本にして欲しい投球です」と勝谷コーチも称賛する。

2年近くベンチ入りできず、一時は「寮にまで入れてくれた親に申し訳ない…」と漏らしていたという林。しかしケガという逆境を逆手にとって気づきを得た。不謹慎かもしれないが、研究熱心な林がたっぷり「準備」できたのはもしかしたらコロナ禍のお陰なのではないか? そんな仮説が浮かんでしまうほどである。

「コロナ禍にしろ、高校でのケガにしろ、全てを良いほうに変える力を持っていると思います。僕からの助言は『(完ぺきに書きすぎる)ノートはもういいから、早く寝ろよ』と言ったくらい。これからも周りの人に感謝を忘れず、言い訳をせず、自分が進んだ道を自分の手で正解にしていってほしいですね」。勝谷コーチにとっては、昨年センバツ4強の国学院久我山・木津寿哉(3年)に続く教え子の快挙。自チームも昨夏の全国中学軟式野球大会(全中)で初優勝し、毎年母校に挨拶に訪れるOBのヤクルト・清水昇からは「約束の」記念Tシャツが届いたと言う。高校は春高バレー男子が6年ぶりに優勝し、駿台学園にとっては良いことずくめの1年となった。

山梨県勢の悲願だった甲子園優勝。山梨と言えば、河口湖から見る富士山はお札の絵柄にもなるほどの絶景。「裏富士」とも言われているが県民にとってはこちらが「表」。ものごとはいろんな角度から見たほうが味わい深い。「富士には月見草がよく似合う」は、かつて山梨に移り住んだ太宰治が詠んだ一節だが、コロナ禍でもコツコツと努力を重ねた林の姿は、富士山の麓で咲く健気で強健な月見草のようでもあった。【樫本ゆき】

20年夏に中学野球を引退した林謙吾の野球ノート
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20年夏に中学野球を引退した林謙吾の野球ノート。感謝の言葉で埋め尽くされていた
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山梨学院のエース林謙吾が中学時代から大事にしているのが「柔軟性」。疲労をためない投球のルーツは体の柔らかさと体幹の強さにある
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オフのたびに駿台学園中を訪れるOBのヤクルト清水昇投手。後輩たちは2022年夏に全国優勝を果たした
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