取手二、常総学院(ともに茨城)で春夏3度日本一に輝いた木内幸男元監督(83)は、選手心理を操り、超高校級右腕のスキをつき、常総学院を夏の甲子園初優勝に導いた。03年夏の決勝。当時2年生だった東北(宮城)ダルビッシュ有投手(28=現レンジャーズ)を強攻策で攻略し、4-2で勝利した。

 ダルビッシュのスライダーに照準を定め、長打を狙う強攻策で攻略した「木内マジック」の詳細は24日付の紙面で紹介している。

 常総学院のグラウンドで行った取材では、「選手心理を操る」部分で、さらに語ってくれたことがある。

 「この時のキャプテン(松林康徳)は大したもので、目標が全国優勝じゃなくて、ベスト8なんですよ。なんでベスト8かって聞いたら、国体に行くんだと。木内監督と長く野球やりたいと」。

 夏の甲子園前から、木内監督の勇退は決まっていた(07年秋に復帰)。甲子園で8強入りすれば、秋の国体の出場権が得られる。1日でも長く木内監督と野球がやりたいと、チームはその思いで団結していたという。

 甲子園で8強入りした夜。「お前たちの希望は国体だったから、もうオレの出る幕はないねって言ったんです。明日からノーサインでやるかって聞いたんです。随分今までいろいろなサイン出したからって」。

 およそ2分。選手たちだけで話し合い、主将の返答を待った。

 「僕らがやったんでは勝てません。ここまでせっかくきたので、チャンスですから、あと3つお願いしますって。やったことがあるサインは全部成功させますって言うんですよ。こうなれば、何のサイン出してもやってくれるから。これ、ひょっとすると、勝たせてやんなくちゃなって思いましたから。子どもたちの、勝つことに対しての意識が伝わって来ました」

 木内監督にも今までにない感情がわき上がった。

 「ここまで来たら、人生で1回も勝とうと思って勝ったことないから、1回やってみるかって話しになって、優勝するぞってことで、チームは1つになっちゃった。勝つ時には、勝つように、やっぱりチームは流れます。流れるチームを作るのが、監督の仕事ですから。優勝しようと思ったのは、この時だけです。おれも優勝を狙うぞっていう話を、国体の権利を取ったところで言ったんですよ」

 最も大切な大会中に、より強固にまとまったチーム。ダルビッシュを攻略した秘訣(ひけつ)は、こんなところにもあった。【前田祐輔】