利根商(群馬)の豊田義夫監督(80)が、“史上最高齢”での甲子園を目指す。近大付(大阪)で3度のセンバツ出場に導いたベテラン指揮官は、昨秋から高校野球界に復帰。現在も自らノックを行い、選手に熱血指導を続けている。7月9日の松井田との初戦で、まずは1勝を狙う。悲願の夏の甲子園出場を果たし、09年夏に78歳で出場した常総学院(茨城)の木内幸男氏を超えるつもりだ。

 豊田監督は、覚悟を決めてきた。「大阪には、骨になって帰ると言ってきた」。昨春、かつて近大付で武者修行していた元ヤクルト団野村氏(59)から監督就任の打診を受けた。迷いはなかった。「この年でユニホームを着るチャンスがあるなら、どこへでも行く」。縁もゆかりもない群馬・みなかみ町で、昨年9月から新たな挑戦が始まった。

 「鬼の豊田」と恐れられた。厳しい練習は当たり前。センバツに3度導いた近大付は、専用グラウンドがない時期があった。選手を鍛えるため、あらゆる手を使った。

 豊田監督 ある進学校に練習試合を申し込んだふりをして、選手を連れて行ったんです。向こうの練習が休みなのは、当然知っている(笑い)。野球部と関係のない職員は「手違いで申し訳ない」と言うしかないから、1日グラウンドを使わせてもらった。滑り台があるような公園でも、遊んでいた子どもたちを退けて練習したんですよ。昔は。

 情熱は衰えない。利根商の監督就任にあたり、母校の近大付グラウンドでノックの感覚を取り戻すためにバットを振った。「ノックができなくなったら終わり。外野まで届かないし、選手には悪いと思っているけど、コミュニケーションだから」。豊田監督の放つ打球は、現在も捕りにくい位置に転がっていく。

 「1球の重み」を伝える。関東圏も、公立校での指導も初。グラウンドに雪が降る経験もない。「最初はいろいろと驚いた。選手は関西の子に比べて、おとなしい。一喝したら元気がなくなっちゃう」。練習では、キャッチボールの時間を2倍以上に増やした。「選手たちには、うるさく『取るべきは取る、生きるべきは生きる』と言う」。記録に表れない守備や走塁が勝敗を分けることを、誰よりも知っているからだ。

 50年以上の指導歴で、夏の聖地には縁がない。過去最高齢の甲子園出場監督は、常総学院を率いた木内氏の78歳とされる。「阪神電車から甲子園が見えると、いまだに鳥肌が立つ。夏の甲子園に行って死んだら本望ですよ」。傘寿の闘将が、孫ほどの年齢の選手たちと夢を追う。【鹿野雄太】

 ◆豊田義夫(とよだ・よしお)1935年(昭10)12月25日、大阪・八尾市生まれ。近大付では外野手としてプレー。会社員をへて、56年から近大付コーチ。65年から監督。67、71、75年春にセンバツ出場。84年の退任後は近大福山、近大新宮、近大泉州などで13年夏まで指揮を執る。15年9月から利根商監督に就任。