高川学園の歓喜の中心にいたのは、投打でチームを引っ張ったエース山野太一投手(3年)だった。宇部鴻城を下し、夏7度目の決勝で初優勝。多々良学園時代の84年春以来となる甲子園切符をつかんだ。

 「決勝で6回負けた先輩方の思いもあった。全力でいった。すごくうれしい」

 3回戦で下松に5回コールド、準決勝でも長門に8回コールドで2度のノーヒットノーラン(参考記録)を達成した左腕が8回1死一、二塁から右翼線へ決勝となる2点適時三塁打。投げても直球とスライダーでアウトを重ね、2失点完投の大活躍だった。

 選手だけでなく、監督も最後の夏だった。通算3度目の指揮となる藤村竜二監督(46)が今夏限りで退任予定。今大会計6試合で47イニングを投げ、4失点と安定感抜群の山野は「監督を最後に甲子園に連れていくことができてよかった」と、笑顔で汗をぬぐった。

 初めて背番号1をつけた昨夏は準々決勝で宇部鴻城にコールド負け。左肩の関節唇を痛め、8月から2カ月間、ノースローが続いた。「来年、自分がエースで投げられるのか? 再発しないかも不安だった」。そんな山野を連れて、病院に通ってくれたのが藤村監督だった。東北福祉大で阪神金本監督の1学年下だった指揮官に、同じ甲子園の景色を見せたかった。

 山野は高校入学時は159センチ、50キロだったが、毎食3合のご飯を食べ、走り込みを続けて170センチ、70キロの体に成長。今夏、最速は138キロから145キロまで上がった。「エースがしっかり投げてくれ」と励ました指揮官に「絶対に甲子園に連れて行きます」と誓った山野。地道な努力が最後の夏に実を結んだ。【福岡吉央】

 ◆高川学園 1878年(明11)に曹洞宗山口専門学支校として創立された私立校。48年に多々良学園、06年から現校名。普通科があり、生徒数は560人(女子147人)。野球部は1911年(明44)創部。部員71人。甲子園は春1度、夏は初。OBに元横浜高木豊氏ら。防府市大字台道3635。大野満臣校長。

◆Vへの足跡◆

1回戦17-4防府西

2回戦6-1南陽工

3回戦10-0下松

準々決勝6-0宇部商

準決勝7-0長門

決勝8-2宇部鴻城