北海(南北海道)・平川敦監督(45)は、就任19年目で初の決勝進出。大会屈指の快速球右腕、作新学院(栃木)のエース今井達也(3年)攻略のため、バットを極端に短く持ったり、バスターを試みたりと策を練ったが、チームは7安打1得点に終わった。名門の監督として、多くの批判にさらされながらも信念を貫き通し、たどり着いた決勝戦。準優勝に、ナインへ感謝の言葉があふれた。

 「うれしい気持ちと、びっくりしている。3年生には本当に感謝しています」。北海の監督として夏5度目の挑戦で、初勝利から一気に決勝の舞台まで駆け上がった。「今のうちの力から言えば、100点満点」。試合を重ねるごとに成長を見せる選手たちに、驚きを隠せなかった。

 根室市出身。高校時代の成績はオール5だったが「選手としては上を目指せない」と、進学した北海学園大では野球部に所属しなかった。学業の傍ら、大西昌美前監督(現北翔大監督)に請われて母校の学生コーチを務め「高校野球の監督という仕事は、自分には無理だなと思った」。休みも、プライベートな時間もほとんどない。保護者やOBへの対応に加えて、名門ゆえに勝利への重圧もあった。

 大学卒業後、1度は札幌に本社を置く百貨店に就職し紳士服売り場で働いたが、1998年に北海の監督に就任。「辞めたいと思ったことはあるが、逃げ出すわけにはいかない。恩師の大西先生に『辞めたら負けだ』と励まされた」。

 駒大苫小牧で2連覇した香田誉士史元監督や、北海道栄の渡辺伸一監督は同い年の昭和46年生まれ。切磋琢磨し、指導者の経験を積んだ。04年駒大苫小牧が成し遂げた道勢初の全国制覇は「甲子園でも優勝はできるし、結果を残せるんだということを教えてくれた」。守備からリズムを作る北海野球を貫いて手にした準優勝。「高校野球上がりの素人監督」が、名門の長い球史に、しっかりと歴史を刻んだ。【中島宙恵】