だが、今では自覚を持って取り組んでいる。「応援歌練習は、つらさをみんなで共有し団結することに意味がある。社会に出たとき理不尽なことがたくさんある。先輩から過酷な現実に直面したときの耐性をつくる意味があると、伝え聞いています」。平成の女性バンカラがたくましく指揮を執る。【取材・構成=下田雄一】

 ◆花巻北 1931年(昭6)創立

 86代目・大森遥平団長(3年=1年を通してバンカラスタイルで生活している。修学旅行先の奈良・薬師寺で校歌奉納をするなど他県に赴くときでも常にバンカラスタイルを崩さない)「新幹線の駅で、その服かわいいですね。どこのブランドですかと声をかけられた幹部もいましたが、地域の人たちからは応援の声をもらったりする。幹部3人の意見がすれ違ってけんかになったこともあったが最後の野球応援なので後悔したくない。応援団員が黒橋魂で結束して生徒をまとめ上げたい」。

 ◆黒沢尻北 1924年(大13)創立

 88代目・中畑来人団長(3年=帽子を目深にかぶり、表情を見せない謎めいた応援スタイルを持つ)「4月の入学式から応援歌練習が始まります。帽子を目深にかぶるのは、新入生に素顔を悟られないためです。ベールに包まれた応援団は最終日に帽子を取って、つらい練習を乗り越えた新入生と対面し『よく付いてきてくれた、今日から君たちも黒陵生だ』と迎え入れるのです」。

 ◆水沢 1911年(明44)創立

 65代目・菊地陽仁団長(3年=夏の県大会初戦が同じバンカラ校の福岡に決まり)「試合は選手同士の戦いの場。応援合戦はバンカラ校同士全力でやっていきたい。他校は旗振りがメインですが、わが校は手ぶりがメインとなっています。残り1カ月、6校でいがみあうのではなく互いの伝統を理解した上で交流していきたい」。

 ◆福岡 1901年(明34)創立

 応援委員会・94代目久慈勝団長(3年=県高校総体開会式が、バンカラ応援団にとって最大の晴れ舞台。しかし、来年以降の同開会式の開催が、経済的理由で廃止が検討されている)「高校総体の開会式は晴れ舞台。おれたちが頑張らないとバンカラが廃れてしまう。6校の応援団幹部とラインで意見交換して対策を練っています。最初は興味本位でしたがバンカラのボロを着てステージに上がったとき学校の歴史の重みを感じました。自分たちが踏ん張って伝統を守りたい」。