春の地区予選で茨城県新記録の26奪三振を記録した笠間の藤田彪吾(ひょうご)投手(3年)の最後の夏が終わった。3時間52分の熱闘も、初戦突破の夢はかなわなかった。

 2回表に死球で出塁を許すと、相手打線につかまり6失点した。8回表、先頭打者を四球で出すと、藤田の目には涙が浮かんでいた。マウンドから、一塁側ベンチにいる佐藤将光監督(31)を見つめ、首を振った。右肩は限界だった。

 26奪三振の4月14日の水戸桜ノ牧高常北戦以降、右肩後ろと右肘に痛みがあった。投げるたびに激痛が走る。9日朝に、笠間市内の病院で痛み止めの注射を4カ所に打ち、野球人生最後の大会に懸けた。7回で、痛み止めの効果は切れた。「エースとして最後まで投げたかった」。試合後、目を赤く腫らしながら話した。

 記録は、かつて経験のないプレッシャーになっていた。2日前には自分が投げて負ける夢を見た。試合当日朝は、母ゆかさん(43)に「心臓が飛び出るかもしれない」と話して家を出た。

 記録は、チームの意識を確実に変えた。春の大会以前は、自主練習をする選手は1人もいなかった。注目を浴びるようになり、6人程度が自主練に励むようになった。平日は1時間程度、内野陣はノックに汗を流した。藤田は週に30球だったブルペンでの投球を1日30球に増やした。

 佐藤監督は「我慢していたんだろうけど『もうダメだ』と自分から言ったのは初めて。今までの中で一番良い投球だった」と、ねぎらった。あらためて26奪三振の意義を聞いた。藤田は構えずに「意識してとったわけじゃなくて、そんな大記録だって実感はない」と話す。春から夏。大きく変わったことを、意外と本人は知らない。【戸田月菜】

 ◆藤田彪吾(ふじた・ひょうご)1999年(平11)11月9日、茨城県笠間市生まれ。小6から岩間スポーツ少年団で野球を始める。特技はブラックバス釣り。家族は両親、弟2人、妹。50メートル走は5秒9。180センチ、72キロ。右投げ右打ち。