智弁和歌山が20年ぶりの師弟タッグで、6年ぶりに初戦を突破した。97年夏に全国制覇した当時の主将で、元阪神の中谷仁コーチ(38)が今年4月に就任して高嶋仁監督(71)をサポート。この日は0-6から興南(沖縄)に2アーチを含む13安打を浴びせる強打復活で逆転し、県勢夏120勝目、高嶋監督は甲子園最多を更新する64勝目を挙げた。

 中谷主将が大優勝旗をつかんだあの夏と、よく似た始まりだった。97年夏の初戦・日本文理(新潟)戦も5点差をはね返し、日本一へ走りだした。0-6から追いかけたこの夏も、4回に西川と平田の連続適時打で2点を返すと、5回は林の2ラン、さらに冨田が同点2ラン。6回は蔵野の適時打で勝ち越し、強打の智弁和歌山がよみがえった。

 林は手負いだった。腰、右肘、左太ももに故障を抱えるが、「シンに当たったらどこにでも放り込める自信があった」と最深部の中堅左へ高校29号を運んだ。同じ2年の冨田も「林には負けたくない」と続いた。「打撃が強い」イメージに引かれ、進学を決めた世代。あこがれは、中谷主将が率いた優勝チームだった。

 7月の練習。冨田にティー打撃のボールを上げてくれたのが中谷コーチだった。「下半身を使ってバットを思いきり振れ」。時には100球入りのケース4個分も上げてくれた。6月中旬まで腰痛に悩まされた林は、元プロ仕込みの体幹トレーニングで復活した。

 3回途中から救援した平田は、ブルペンで鍛えられた。中谷コーチは各投手に合わせた助言が信条。楽天時代に田中(ヤンキース)を受けた経験から、「今のはマー君より速いぞ」と言われて気分をよくする投手もいる。平田は「(阪神)藤川のように、上から投げて前で球を離すイメージを身につけよう」と教わった。甲子園でもピンチを乗り切れる右腕に成長した。

 6年ぶりの校歌に、高嶋監督は「もうあかんのちゃうかなと思ったこともあったんですよ」と空白期間を振り返った。「乗り越えられたのは林や平田ら、力のある子が入ってきてくれたから」。有望な後輩を鍛え上げた中谷コーチは「久しぶりに一緒に野球をやっても、先生の熱い部分は変わらない。高嶋野球は健在です」と笑った。16日の2回戦は強敵の大阪桐蔭。師弟でぶつかる。【堀まどか】