日本文理(新潟)を全国レベルの強豪に育て、昨年8月いっぱいで監督を退任した大井道夫総監督(76)を慰労する「大井監督の功績を讃える会」が11日、新潟市のホテル日航新潟で行われた。86年9月の監督就任から31年間の監督生活で春5回、夏9回の甲子園出場を果たし、09年夏の甲子園準優勝、14年夏は同ベスト4。新潟県勢を全国の頂点に最も近づけた名伯楽だ。OB、県内外の野球関係者ら420人が集まり、労をねぎらった。

 日本文理での31年間の監督生活で貫いてきた「感謝」を、大井監督は慰労される席でも忘れなかった。

 会の冒頭、当初は2年間の契約で日本文理を訪れたことを話し「野球部OB、スタッフ、歴代の理事長、校長先生、県高野連の先生方、親御さん…」と関係各位の名を列挙。そして「皆さんと知り合えたことは私の人生の宝物。この宝物を大切にしてこれからの人生を歩んでいきます」と最大級の感謝を言葉にした。

 栃木県出身。縁もゆかりもない新潟で始まった高校野球の指導者生活。それが今では「ほかの学校の監督さん、私ができることがあったら、なんでもします。学校の許可を得てどこにでも行きます」。現在も日本文理の総監督ながら、請われたなら他校へのアドバイスも引き受ける覚悟を見せる。それだけ、新潟県のレベルアップへの思いは強く、野球に傾ける情熱がある。

 09年準優勝時のエース、伊藤直輝(26=ヤマハ)はOB代表のあいさつで「中学時代にお会いしたときは、笑顔が多くて優しい人だと思った。でも、入学してからは鬼だるまのように怖くて怒られた」と会場を笑わせた。そして「『なせば成る』という信念で、全国制覇を目指し続けていました。そのぶれない姿勢が日本文理の歴史をつくり上げたと思う」と影響の大きさを話した。

 伊藤だけでなく、フロアを埋め尽くした420人の出席者は、大井総監督の生きざまに刺激を受けた野球人がほとんど。そんな空気に触れ、大井総監督は「私の人生で忘れられない1日になりました」と再び感謝を述べた。【斎藤慎一郎】