北海道では4地区で代表決定戦が行われ、札幌地区の北星学園大付が北広島を10-0の5回コールドで下し、初の南大会進出を決めた。入学時に弱小と言われた世代が、チーム最小、158センチの鈴木滉都主将(ひろと=3年)を中心に成長し、10年秋から続いた地区代表決定戦の連敗を6で止めた。

 北星学園大付ナインは一瞬、間を置いた後、笑顔でベンチを飛び出した。押し出し四球でのコールド勝ち。地区代表決定戦での連敗を止め、初の南大会切符をつかんだ瞬間だった。鈴木滉主将は「(17年)秋も(18年)春もあと1歩で全道に行けなかった。やっとここで聞けました」。万感の思いで校歌を歌い上げた。

 打線は4番佐藤祐樹(3年)の本塁打を口火に4、5回で11安打10得点、先発のエース右腕、杉村航大(3年)も5回2安打無失点。投打の主軸が活躍した。だが、沼山健吾監督(35)は「チームに1人だけ浮いたヒーローはいない。部員全員が勝利にこだわった結果です」と組織の力を強調した。

 その先頭に立ったのが、鈴木滉だった。主将になった当初は意見を主張することができず悩んでいた。「変わらないといけない」。秋地区敗退を機に意識を変えた。同時期にサッカー日本代表の長谷部誠主将(34)の著書「心を整える。」を読み「嫌われ役になっても、しっかり伝えることが大事だ」。

 冬場の練習ではチームに緩い空気が流れる度にミーティングを重ねた。ベンチ入り選手であっても厳しい言葉を投げかけた。春を経て、少しずつ「自分たちで気づいて指摘していく力」(鈴木滉)が浸透した。主砲の佐藤も「嫌いなバントや守備練習を意識的に始めたことで不安をなくし、打撃にも集中できるようになった」。課題を指摘し合い、欠点を埋めていくことでチームとしてまとまった。

 地区突破は09年秋以来。「入学したときは(就任10年目で)一番チーム力がないと思っていた」(沼山監督)世代が快進撃を起こしたが、目標はまだ先にある。「(南大会までの)残り期間しっかり調整して、チーム一丸で甲子園を目指したい」と鈴木滉。歴史を塗り替えた世代が、円山でも新たな歴史を刻む。【浅水友輝】

 ◆北星学園大付 1962年(昭37)、北星学園男子として創立の私立校。87年に北星学園新札幌への校名変更に伴い男女共学に移行し、02年現校名に改称。野球部は学校創立と同じ62年創部。99年秋に3季通じて全道初出場、1回戦は旭川明成に勝利、2回戦で北照に敗退した。部員64人。主なOBは昨秋ロッテ3位指名の山本大貴投手。