1958年(昭33)センバツに優勝して、熊本唯一の全国制覇を果たしている公立進学校の済々黌(熊本)が、初戦で散った。

 センバツV当時の主将だった末次義久さんの指導もあり、主将の古閑晴之内野手(3年)は「甲子園に出て恩返ししたかった」。最終回にまさかの逆転負けを喫して、「天草工の粘りに実力の差が出ました」と肩を落とした。