艱難(かんなん)辛苦を乗り越えた先に、3年ぶりの夏勝利が待っていた。3安打の本吉響が6安打の多賀城に6-4で競り勝ち、初戦を突破した。エース右腕の照喜名(てるきな)福人(2年)が完投。6月まで室内練習場が使えず、大会直前には正三塁手が負傷離脱。エースも5回から熱中症による異変を感じながら、気力で最終回のピンチを断った。

 吐き気とともに、上半身が震えていた。照喜名は5回から体の異変とも闘った。9回は味方失策から2点をかえされ、なお2死二、三塁と一打同点の危機。「ここで投げ切らないとダメだ」と残る気力を振り絞り、この日の勝負球だった直球を選択。「仲間の声に助けられました。ストレートにも体重を乗せられた」と力ない三邪飛が、左利きの急造三塁手・佐藤竜輔(3年)の右手グラブに収まった。

 祖父が沖縄出身。ルーツ的には暑さに強いはずが、「ちょっと弱いかもしれない」と暑気負けしやすい。過去にも試合中に発症したことがあり、その経験もあって対処できた。試合後は取材を待つ間に、苦しそうにうずくまって吐いた。心身ともギリギリの状態だった。加藤真也監督(26)は「これまでなら流れにのまれて、そのままサヨナラ負けしていた。その点は成長した」と評価した。

 打線は4回以降、1人の走者も出せなかったように、スイングの鈍さは否めない。昨年10月の台風21号で、約20メートル×10メートルの打撃練習用テントが倒壊。グラウンドには霜も降りるため、昨冬は打ち込みができなかった。加藤監督が鉄骨を組み立て直し、完全復旧したのは6月から。それでも3安打のうち2本が2点適時打。1回は2死二、三塁で阿部幸也内野手(3年)が先制右前打、3回1死二、三塁では照喜名が自ら、ダメ押し中前打を放った。

 悪いことは重なり、2週間前には二階堂明海三塁手(1年)が右手薬指を開放脱臼。部員13人と少なく、「一番器用だから」(加藤監督)と左投げの佐藤を中堅から緊急コンバートした。佐藤は4度の守備機会を無難にこなし、ウイニングボールもつかんだ。

 次は第5シードの柴田。加藤監督は「ひどいですね。途中からフライばかり。修正しないと次は100%無理」と悩みは尽きないが、「チャンスは0ではない」。困難に屈しない耐性は、できている【中島正好】