広島についに球児の夏がやってきた。甚大な被害をもたらした西日本豪雨の影響で延期になっていた第100回全国高校野球選手権・広島大会が17日、予定より10日遅れで開幕した。被害が大きかった呉市では2試合が行われ、呉宮原が音戸・大柿の連合チームに5回コールド勝ちした。球児たちは悲しみをこらえ、過酷な夏を戦い抜く。

 開幕順延された広島で、球児の夏が始まった。被害の大きい呉市でも1回戦2試合が開催。第1試合は呉宮原が5回コールド勝ちした。練習再開は13日。だが交通網の遮断などの影響で、災害後に部員26人全員が集まったのは、この日が初めてだった。

 「野球ができる喜びをかみしめながらプレーした」というのは主将で3番の藤原大輔投手(3年)だ。1回、右翼フェンス直撃のランニング本塁打で先制。これが大会第1号だった。2回まで10点を奪って突き放した。投げては3投手のリレーで1安打に抑えた。

 災害発生後、呉市の大半の地域で断水。土砂崩れに見舞われ、多くの命が奪われた。他の野球部と同じく呉宮原も練習を再開できておらず、藤原は「無事で動けるなら」とボランティアに向かった。住宅地一帯が土砂に覆われた天応地区で、泥を取り除く作業を手伝った。他にも多くの部員が復旧に尽力した。

 控え内野手の浜本昌汰(2年)は出番がなかったが、味方を必死に声援。昨年クラスメートだったという同校の女子生徒が、災害で命を落とした。「僕が下を向いていたらダメだと思った」。悲しみを懸命にこらえ、前へ進もうと決めた。迫越智哉内野手(3年)は同市安浦地区の自宅が床上浸水。救助隊のボートで助けられ、避難所生活を強いられた。「普段、野球ができていることが当たり前じゃない。ありがたいと思った」。4回に代打で三振も、そんな感謝の気持ちを込めてバットを振った。

 呉地区同士の対戦。音戸・大柿の連合チームも断水などの影響を受けた。呉宮原は試合後、千羽鶴を託された。宮下太輔監督は「生徒の全力プレーが、地域の人に勇気や感動を与えられたらと思います」と言った。誰もが困難な状況を抱え、白球を追う夏。乗り越えようとする若者の姿が、多くの人の胸に刻まれるはずだ。【大池和幸】