金足農(秋田)の中泉一豊監督(45)は、閉会式を終えると一塁側ベンチ前で目を赤くした。「本当はもっと早く代えてあげられたら良かったけど、吉田のチームでしたから」と声を絞り出した。5回終了時にはベンチで佐々木主将から「もう限界です」と進言された。今夏11試合目で、初めてエース降板を決断した。

 吉田を右翼へ回し、4選手のポジション変更で選手交代しない「9人野球」は貫いた。甲子園6試合で22犠打。投手分業制と逆行、昭和の野球-。そんな声にも一切ぶれなかった。

 「本当は2年生が何人か経験するのがベストですが、3年生9人がレギュラーに選ばれた。今のうちの攻撃力を考えるとバント」。選手の気持ちは交換日記で把握。特徴、能力を判断し、チームの勝利を最優先した選択だった。監督を含めたチームの特色は秋田弁で「ずらっとしている」と言う。「よく言えば物おじしない」と都会の強豪校を次々と撃破した。

 金足農では俊足中堅手として90年センバツに出場。パンチ力ある打撃で当時のあだ名は「タイソン」。尊敬する人は秋田市内で精肉店を営んでいた母豊子さんを挙げた。悪さをして業務用冷蔵庫に入れられたこともあるが「厳しいけど優しさがあった。多分似てると思います」。愛情持って選手と接し103年ぶりの結果を出した。【前田祐輔】