平成最後の怪物だ。星稜(石川)奥川恭伸投手(3年)が優勝候補の一角、履正社(大阪)を相手に毎回の17奪三振で3安打完封の離れ業をやってのけた。すべての球を自在に操り、前評判通りの熟成された投球。自己最速も1キロ更新する151キロをたたき出した。スケールアップを続ける本格右腕が、石川勢悲願の甲子園制覇へ、衝撃的なスタートを切った。

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1発浴びれば同点だったのに「楽しかった」と振り返る。奥川は注目の大砲、井上を迎えても余裕があった。3-0の9回1死一、三塁。カウント1-2からスライダー。前の3打席と同じようにまともなスイングを許さず、投ゴロ併殺で試合を終わらせた。

「終盤、ピンチになっても腕を振って投げられた。逃げない姿勢を見せられた。甲子園でしか味わえない緊張を楽しみ、力に変えられた。今までの経験が生きたと思います」。130球の直後とは思えない、軽やかな笑み。ピンチで弱気になる自分はもういない。

初回の2球目に150キロを出して観客をどよめかせた。4球目に最速更新の151キロ。「球場の雰囲気を味方につけられたのはよかったかな」。序盤は直球で押しまくり、4回からは球種の緩急、力の加減も付けた。井上を突然のクイック投球で幻惑もさせた。「(クイックを)やるとしたら井上選手のところだと思っていた。あまり使わないのですが、力のある打者なので」。投球術でも完全に制圧。1イニング2個ずつのペースで三振を奪い、「17個取ったんですか?」と本人も驚く数字を重ねた。

林和成監督(43)は「履正社戦というエネルギーが切れなかった」と脱帽した。奥川にとって「大阪」は特別だ。小4時、大阪南部の強豪チームに遠征。2度訪れ、ともに2桁失点。「あれで意識が変わった」。鼻っ柱を折られ、お調子者は変身した。履正社戦も進化への燃料となった。星稜は、松井秀喜がいた91年夏の準決勝で大阪桐蔭に敗れており、甲子園では初の大阪勢撃破になった。

昨夏の甲子園で途中降板した済美(愛媛)戦後、号泣した。悔しさは必ずバネにする。指先のトレーニングを徹底し、フォークを完璧にマスター。フォークの失投はほぼゼロだ。全球種を意のままに操った。

「課題はあるので次はもっといい投球をしたい。これから厳しい戦いが続くので」。目指すは頂点。「奥川の大会」がその名にたがわぬド派手さで幕を開けた。【柏原誠】

▽大阪勢の17三振 大阪勢が甲子園で1試合17三振を喫したのは春夏を通じ81年夏の北陽(現関大北陽)が名古屋電気(現愛工大名電)・工藤に延長12回で21個を奪われて以来(9回までは16個)。センバツでは73年北陽が江川(作新学院)に19個奪われて以来。

◆奥川恭伸(おくがわ・やすのぶ)2001年(平13)4月16日、石川県生まれ。宇ノ気小3年から宇ノ気ブルーサンダーで野球を始め、宇ノ気中では軟式野球部。全国中学校軟式野球大会で優勝。星稜では1年春からベンチ入り。昨春、昨夏、今春と3季連続で甲子園出場。183センチ、82キロ。右投げ右打ち。