拓大紅陵(千葉)が「小枝イズム」でコールド発進した。勝利への流れを呼び込んだのは控えの3年生、小俣剛志外野手のバットだった。今年1月21日、元監督でU18日本代表監督も務めた小枝守氏が肝細胞がんのため死去した(享年67)。

3年生は入学時から同氏の指導を受けてきた教え子。その教えを守ったひたむきな努力が最後の夏で実を結び、天国の恩師に白星を届けた。

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控えの3年生がピンチを救った。1点を追う5回2死二、三塁。代打小俣の打球が右中間を破った。2点適時打で逆転。沢村史郎監督(54)は手元に置いたタオルを握りしめた。小枝元監督からもらった形見。力を込め「1つの塁をどう取るか。派手な攻撃はいらない」と言い聞かせた。

それが恩師から引き継いだ野球だった。選手たちは元監督が好きだった言葉「球は霊なり」(強い気持ちが球に乗り移る)と張り上げる。「小枝さんの野球だ。1つずついけばいい。よし、短打でつなげ!」。6回には5本の長短打に2四球、2犠打を絡め一挙7点を挙げて試合を決めた。

学んだのは野球だけではない。「人としての基礎ができなければ野球の基本はブレる。チームに大切なことは『自己犠牲・他者優先・相互信頼』だ」と教わった。昨秋、今春と初戦敗退しスタメンには力のある1、2年生が並んだ。3年生は腐ることなく下級生の練習を手伝い、続けてきた取り組みの手も抜かなかった。毎朝6時30分から寮、8時から学校の掃除。伊場大翼主将(3年)は「精神鍛錬を重ねていれば、いつか結果に出る。そう教えていただきました」と胸を張った。

先発メンバー中、4人が1、2年生。3年生は声で鼓舞し出番に備えた。沢村監督は「小俣始め、真面目に取り組んできた3年生が結果を出した」と深くうなずいた。「沢村はまだまだだな、なんて言っているのかな」と笑みを浮かべて空を見上げ、形見のタオルで汗をぬぐった。「小枝元監督を甲子園に連れて行く」と誓った拓大紅陵の戦いが始まった。【保坂淑子】