フェンス向こうのネットの上で、ボールは跳ねた。「入るな、入るな」。つぶやきながら走った山梨学院二塁手の菅野は、スピードを緩めてしゃがんだ。右翼の野村は空を見上げてから両手を膝に突き、うつむいた。

左腕相沢は、肩で息をしながら、まぶしそうにセンターの1点を見つめた。あえいでいた表情から気迫が消え、あきらめの色が浮かぶ。負けを知って涙が流れた。延長12回裏、43人目の打者山口への初球は124キロストレート。「アウトコースを狙いました。コースは少し甘くなったと思います。1球に魂を込めました」。打ち砕かれたが、強めに「後悔はないです」と言った。

ともに甲子園をつかみ取った右腕の佐藤裕士投手(3年)は、7日に右肘の疲労骨折の診断を受けた。自分が投げきるしかない。7回途中、左ふくらはぎがつる。給水タイムをもらった。吉田洸二監督(50)は「連盟には『もう1回、異変が起きたら交代』と言われていました。異変とは、もう1度つることと理解しました」と言った。

山梨大会では佐藤との兼用で、完投はない。相沢は「強い気持ちで」と、1球のストライクに雄たけびを上げる。6回以降は四死球0の真っ向勝負だった。吉田監督は「勝ち負けを超えた、素晴らしい試合だった」と振り返り、相沢に「よく投げた。ありがとう」と声をかけた。最速131キロ。スピードはなくとも、緩急と精度で、120キロ台で勝負した。

その姿を、右翼から野村は祈るように見ていた。強打山梨学院の象徴だが、ことグラウンドでは相沢中心のチームだった。主将としてチームをまとめようと腐心する姿は誰もが知る。見殺しにはできなかった。

前夜、監督とコーチがいなくなった部屋で、野村がサプライズを起こした。この日、ショートで再三の好守を見せた小吹が、試合前にエピソードを明かした。「野村さんがみんなを励ますイメージ映像をつくってくれていたんです。ちょっと驚きました。それを選手全員で見て、すごく盛り上がりました。そう言えば、こっちに来てから野村さんが、たくさん写真を撮るなって。変だなとは思ってたんですけど」。

高校野球に懸けるからこそ、強豪山梨学院に集まった仲間だ。この日のスタメンのうち地元出身は相沢、左翼岸本、一塁飯塚。県外からの仲間と競争し、厳しい練習の中でまとまり、助け合ってきた。野村は「相沢がいなかったらここまで来られなかった」と感謝し、菅野は「足をつりながら投げる相沢のために、何でもいいから1点を取りたかった」と言って、土まみれの右手を握った。

「かけがえのない仲間ともう少し長く野球をしたかった」。相沢の言葉は誠実に響く。「後悔はないです」。全力で勝負した140球目。貫いた左腕のこの言葉には、高校野球の夢とはかなさが詰まっている。【井上真】