宇部鴻城・岡田佑斗投手(3年)が打順1番の先発投手としては春夏を通じて史上初の本塁打を放った。

1番投手の元祖は第2回大会(1916年)の富永徳義(市岡中)。エース松本終吉が右肩を負傷したため、本職は捕手ながら慶応普通部との決勝で緊急登板した(完投で敗戦)。戦後は87年柳田聖人(延岡工=元ダイエー)96年松井光介(横浜=元ヤクルト)98年東出輝裕(敦賀気比=現広島コーチ)らが打ち、最近では17年丸山和郁(前橋育英)以来だが、いずれも1発はなかった。

プロでは大谷翔平が日本ハム時代の16年7月3日、ソフトバンク戦に1番投手で出場し、プレーボールを先頭打者本塁打、投げては10奪三振をマーク。1番投手の本塁打はこの1例しかない。【織田健途】