仙台育英(宮城)が2-10の7回コールドで関東第一(東京)に敗れ、12年以来の決勝進出を逃した。

2-0で迎えた5回裏に9安打5四死球で一挙10失点。3番手登板した右腕・鈴木千寿(3年)が相手猛攻を止め、1回1/3無失点と大逆転への望みをつないだが、反撃出来なかった。1年冬に6カ月の対外試合禁止処分や監督交代なども経験した逆境から、甲子園8強、国体4強まで成し遂げた3年生たち。次代を担う左腕・笹倉世凪、右腕・伊藤樹の両1年生投手らを中心とした下級生に、日本一の夢を託した。

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鈴木が空振り三振を奪い、最後の意地を示した。「点差が広がってしまったが、9回まで続けるためにも勢いを付けたかった。1年生の時からいろいろなことがあって不安な気持ちも大きかったが、3年生31人でやりきれたことが一番。国体の準決勝まで来られるなんて思えなかった」。今夏の甲子園での星稜(石川)戦に続く大敗とはなったが、前日の智弁和歌山戦では自己最速を更新する144キロを記録するなど、成長し続けている姿を披露した。

敦賀気比(福井)との甲子園3回戦、先発した鈴木は野球継続の意欲を失う悪夢も味わった。初回に前試合でサイクル安打の杉戸翔太郎内野手(3年)へ頭部死球。救急搬送され、球場内も騒然。動揺から内角に投じることが出来ないまま3回3失点で降板。CT検査で異常なしの診断を伝え聞いても、試合後も顔が青ざめたままだった。「野球は続けられないと思ったけれど、敦賀気比のみなさんに勇気づけられて再び前を向けました」。試合直後の直接謝罪がかなわず、仙台に帰ってからSNSを通じて何とか連絡をつなげ「ようやく謝ることが出来ました」。今大会の好投は、敦賀気比ナインの思いも背負っていた。

17年冬には部内の不祥事。1学年上の先輩たちと連日ミーティングを重ね、泣きながら自分たちの今後を模索した。佐々木順一朗監督(59=現学法石川監督)が退任し、翌年1月には須江航監督(36)が就任。「順一朗先生からは人間力、須江先生からは技術を学んだ。気迫を出して投げること、球速を上げる助言、それぞれ2人の先生から教わったことが、ここまで成長できた要因。感謝しかありません」と振り返る。

先発した笹倉は5回に3四死球で自滅。2番手の伊藤も代わった初球に適時打を浴びて死球を挟み8連打と屈辱を味わった。鈴木は「2人は1年生とは思えないボールを投げられるし、良いも悪いも経験を積めた。2枚看板ダブルエースと言われる存在になってほしい」と期待した。

昨夏の甲子園初戦敗退から「日本一への1000日計画」が着々と進行中だ。下級生は宮城県で秋8連覇し、11日からはセンバツ出場をかけた東北大会(岩手)に挑む。須江監督も「3年生は寂しさも喜びも含めて土台を作ってくれて、新チームは打力もある」。喜怒哀楽の経験値を、強さの基盤にする。【鎌田直秀】