27年ぶりの対決は明徳義塾(四国)が星稜(北信越)を振り切ってものにした。両チームが公式戦で対戦するのは、92年夏の甲子園2回戦で、星稜の松井秀喜を明徳義塾が5打席連続敬遠の末に勝って以来。明徳義塾は1点を先制された直後の4回に適時打や相手のミスなどで4点を奪って逆転。5回には3番鈴木大照(だいしょう)捕手(2年)が左翼スタンドへ3ランをたたき込んで突き放した。

92年当時2年生で遊撃手だった星稜の林監督は「(5敬遠と)徹底したのは、結構な覚悟があってのこと。それが、のちに(02年に)全国制覇される監督になったのだと思います」と試合前日に述懐し、自らも指揮をする立場となって明徳義塾・馬淵監督のすごさを感じて臨んでいた。馬淵監督も前日に「うちが勝つ可能性は低い」と話しながらも「ベストメンバーでいく」と意欲を燃やしていた。

◆92年の星稜対明徳義塾 8月16日、夏の甲子園2回戦で対戦。明徳義塾は超高校級スラッガー松井に対し、徹底して勝負を避け、5打席連続敬遠させた。松井は一度もバットを振れず2-3で敗退。試合終盤には観客席からメガホンなどが投げ込まれ、明徳義塾の校歌斉唱時には「帰れ」コール、宿舎には抗議電話が殺到した。松井は敬遠されても淡々と一塁に走り、試合後は「悔しい。敬遠? それが相手のやり方。自分は知りません」と悔しさを押し殺してインタビュー台に上がった。その後も「高校野球らしくない」と大きな反響を呼び、社会問題にまで発展した。