球児の夏がある限り、語り継がれる熱戦があります。1998年の第80回全国高校野球選手権大会準々決勝・横浜(神奈川)-PL学園(大阪)戦。横浜のエース松坂大輔(現西武)相手にPL学園も1歩も引かず、延長17回の熱闘に。好敵手を得て、松坂は「平成の怪物」になりました。延長11回に同点打を放った大西宏明さん(40)もその1人。近鉄から4球団を経験し、今は独立リーグ・堺シュライクス監督と焼き肉店経営を兼業する毎日です。

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外で練習できるかな、と天気予報を確認する生活が20年ぶりに戻ってきた。一昨年の7月、大西さんは堺シュライクスの監督に就任。朝9時から午後2時まで指導し、そのあと自宅で6歳の長男、4歳の長女の世話をして、同7時前から大阪・東心斎橋の焼き肉店「笑ぎゅう」に出る。監督、店主、イクメンとフル回転。「違う子どもが増えたような感じです」と笑う。

監督業には、他の仕事とのバランス重視で取り組むつもりだった。だが選手と関わるうちに考えは変わった。「どっぷり選手らが好きになった。明日、こういうの教えようとか寝る前に考えたり。あ、野球人やったんやなと思いましたね」。懐かしい感覚だった。

チームには、強豪校に在籍しながら指導者や環境になじめず、大成できなかった選手がいる。磨き方1つで原石は変わる。「ホークスの3軍に入ってきたときの甲斐や千賀や牧原が同じような感じだった。あの子らがあそこまでの選手になってる。やっぱり、しっかり磨いてあげたら、可能性はあると思うので。甲斐らが成長していく姿を見ているので」。ソフトバンク育成の生活が役立った。

出会いが人生を変えることを、甲子園で知った。ソフトバンク平石洋介打撃兼野手総合コーチ、東農大北海道オホーツクの三垣勝巳監督、近大の松丸文政コーチら球友に恵まれた。そのメンバーで「平成の怪物」に向かっていった。熱戦を「17回の死闘」にした、球史に残る同点打を打った。

「何かのタイミングで人間は変わる。プレーヤーとしても、技術も、何かをつかめば変わっていく」。新型コロナウイルス禍で、4月4日の開幕予定は延期されたまま。シーズンが始まれば、大きな“子どもたち”の変化を願い、指揮を執る。【堀まどか】

◆大西宏明(おおにし・ひろあき)1980年(昭55)4月28日、兵庫県生まれ。PL学園で3年春甲子園4強、同夏8強。近大から02年ドラフト7位で近鉄入団。分配ドラフトで05年からはオリックス。07年オフにトレードで横浜に移籍。10年に戦力外になり11年はソフトバンク育成選手。通算554試合で打率2割5分4厘、27本塁打、131打点。現役時代は178センチ、78キロ。右投げ右打ち。

<取材後記>

出会いから22年がたった今も、大西さんの松坂への思いは変わらない。「高校のときは、倒したいという気持ちは強かったですけど、大学時代も活躍を見ていて、プロに入って対戦して、一緒に飯食ったりして。今もあこがれ、ヒーロー、スーパースター」。「次元が違うって思ってるんで」。そんな人間に出会えたことが、生きる力になっている。

今はコロナ禍でランチやテークアウトで店をやりくりする苦境に立つが「ミナミに以前の活気が戻れば、うちもまた頑張ります」と大西さんは前を向く。松坂は再び西武のユニホームを着て迎える開幕へ、準備を整えている。大西さんも負けてはいられない。