夏の甲子園大会、地方大会の中止を受けて都道府県高野連が独自に開催する代替試合は1日、各地で行われ、宮崎大会では宮崎日大が12-2で宮崎学園を下し、5年ぶりに夏の宮崎を制した。兵庫・加東市出身で阪神ファンの岩崎優太投手(3年)が3安打2失点で完投。打っても5打数3安打5打点でけん引した。甲子園凱旋(がいせん)は果たせずも、最後の夏に有終の美を飾った。

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トラ党の岩崎が“猛虎魂”で完全燃焼した。9回2死。最終打者をスライダーで三ゴロに打ち取り、両手を突き上げた。今大会で初めて1番を背負い、これが3年生での初先発。「優勝を目指して臨み、実現してうれしい。昨秋の同じ悔しさは味わいたくなかった」。昨秋の宮崎大会準優勝では見る側だった歓喜の輪で笑みをはじけさせた。

179センチ、93キロの巨漢だ。ただ楠田賢吾監督(75)によると「体に似合わずデリケート。余計なことを考え投げる傾向がある」。プレッシャーがかからないよう先発通達は試合直前だった。「何点取られても最後まで投げきるつもりで投げなさい」と送り出された。

3回無死二塁。岩崎は投前バントを一塁悪送球し先制点を献上。それでも「最少失点に抑えることを心がけた」と立ち直った。6回は2死二塁からは右前打でもう1点を失った。ここも後続を断ち、最速130キロ台後半直球とキレのあるスライダーで翻弄(ほんろう)。昨秋の九州大会後に右肘を手術し、3カ月のリハビリを経て2月に復帰した。肘への負担を考慮されてここまでは救援中心だったが、気迫の2失点完投を演じた。打っても楠田監督が「パワーがあり芯でとらえるとけっこう行く」という破壊力で、5回2死満塁から走者一掃の右越え適時二塁打など5打点と攻めた。

甲子園球場までは兵庫の実家から車で40分。小1の09年、観戦した阪神-広島で金本の1試合3本塁打に感動して、野球を始めた。昨夏の甲子園大会も2回戦の鶴岡東-習志野を観戦。「甲子園の雰囲気が好き。ああいう歓声を浴びてやりたい」。嫌いなランニングも歯を食いしばって取り組んだ。甲子園への凱旋はかなわなかったが、実家から遠く離れた宮崎の地で一生の宝物を得た。【菊川光一】

◆岩崎優太(いわさき・ゆうた)2002年(平14)5月15日、兵庫・加東市生まれ。野球は東条西小2から東条ジュニアで始め、東条中時代は兵庫北播リトルシニアでプレー。宮崎日大では昨秋から背番号10で代替大会で1。目標の選手は大谷翔平。179センチ、93キロ。右投げ右打ち。