歴史に残る甲子園高校野球交流試合の開幕試合で、花咲徳栄(埼玉)が大分商に逃げ切った。エース左腕、高森陽生投手(3年)が5安打1失点で完投。無観客で、勝っても負けても終わりの甲子園。昨夏の聖地を経験した左腕は、いつもと違うマウンドを投げ抜いた。

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静かなマウンドだった。スタンドはガラガラ。ブラスバンドや応援団もいない。高森は昨年の甲子園では聞こえなかった音を力にした。「自分のベンチや相手ベンチの声が聞こえてきた。それが活力となった」。いつもとは違った緊張感がある中でのマウンドだったが、初回にいきなり3者連続三振を奪い、一気にエンジンがかかった。

高森は2年生だった昨夏の甲子園で敗戦投手になった。責任を感じながら練習に励んできた。センバツ出場が決まり、忘れ物を取り戻すべく、思いは人一倍強かった。「センバツの中止が決まって受け止めきれない自分がいました」と落ち込んだ。しかし、翌日、井上主将が「自分は甲子園に2回出ているけど、今回初めての選手がいっぱいいた。夏もう1度連れて行けるように頑張る」と意気込んでいる記事を見た。主将の覚悟に刺激され、エースの自覚で立ち直った。

夏の選手権が中止になったが、交流試合として甲子園の試合が実現した。試合前、岩井隆監督(50)から「歴史的に初めての試合をやらせてもらって光栄。1人1人が初を目指してやれば歴史に名を残せるよ」と送り出された。特別な1日となったが、高森は「(甲子園に)戻って来て、やっとこの舞台で投げられた」と仲間と戦える感謝を胸に、懸命に腕を振った。

9回2死、最後の打者を右飛に打ち取ると、両手を思いっきり挙げた。本来であれば次の試合もある。だが今年はこの1試合で終わりだ。「まだ試合をやりたいという感じはあります」と本音も漏れた。

チームは埼玉県独自大会の初戦を12日に迎える。「優勝目指して全力で頑張りたい。これが終わりじゃない」と前を見つめた。少し感じた物足りなさを、埼玉制覇で解消させる。【湯本勝大】

<甲子園交流試合アラカルト>

▼滞在期間 各校の滞在時間を短くし、近隣地区の学校は日帰りとするため1日3試合までとし、開始も午前10時と遅めに設定。宿泊は前日と試合当日の最大2泊。できるかぎり1人1室を用意する。

▼招待人員 ベンチ入り選手は例年の18人から2人増やして20人。責任教師(野球部長)、監督、記録員1人、補助員5人、校長またはそれに準じる者1人の計30人。

▼無観客 無観客が原則。野球部員と教職員、部員は各1人につき保護者、家族合わせて5人まで観戦可能。次の試合の保護者はアルプス席に待機する。例年のブラスバンドやチアの応援はできない。

▼飲食 売店は閉店。かちわり、ビールなどの売り子もなし。

▼校歌 勝利校は距離を取って整列し校歌を歌う。大声は禁止。

▼土集めなし 1試合ごとにベンチ内消毒を行うため、時間的制約から「甲子園の土」を集める行為は禁止。出場校には後日、阪神園芸の協力で土が贈られる。

▼取材 試合前取材はなし。スカウトや保護者をスタンドで取材することも禁止。試合後はこれまでの1階でのお立ち台ではなく、売店などが並ぶコンコースに移動し行われる。

▼後援新聞社 今回はセンバツ主催の毎日新聞社、全国高校野球選手権主催の朝日新聞の2社が後援。スコアボードの旗は上から毎日、朝日と並び、試合前にはセンバツ大会歌「今ありて」、夏の大会歌「栄冠は君に輝く」の順番で場内に流れた。