プロ注目の明石商(兵庫)・来田涼斗主将(3年)が、“甲子園通算14本目”の安打を放った。二塁への内野安打で、持ち前の脚力を披露。1年夏に聖地にデビューし、今夏を含めて全10試合中9試合で安打をマークした。進路についてはこれから熟考する。1番打者として存在感を示し、高校野球に別れを告げた。

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高校最後の夏、来田のバットに快音はなかった。ラストゲームは内野安打1本。「チーム全体で楽しもうと。力みとかはありませんでした」。1年夏から大舞台を経験してきた。同年の甲子園は、8-8の延長10回に自身の失策で決勝点を献上。2年春には史上初となる先頭打者&サヨナラ弾で名を刻んだ。多くを経験した聖地に、別れを告げた。

左の強打者、「明石商の来田」になる分岐点があった。小学校低学年の頃だ。普段は右利きで、当時は右打ち。だが本人も気づかないうちに逆手でバットを握り、試合中も逆手で打席に立っていた。自宅での素振りを見て気付いた父年正さん(51)の「それは左打者の構え。左で振ってみろ」の指摘が、左打ちに転向するきっかけになった。来田も「一塁までの到達も速くなった。左に変えたことで、手の持ち方がそのまま振りやすくなってスイングとかも速くなったと思います」。この日の3回、二塁への当たりを50メートル5秒9の脚力で内野安打にした。甲子園最後の安打は、左打席が生きた1本だった。

野球を始めたのも、明石商への進学も、同校OBの兄渉悟さん(21)の影響だった。中学3年だった17年夏、渉悟さんが兵庫大会決勝で敗れた試合を、スタンドから見た。その日はたまたま、所属していたクラブチームが休みだった。

神戸国際大付との試合。渉悟さんは8番・一塁でスタメン出場。2打席目がサードへの高いゴロとなり一塁へ、ヘッドスライディングで内野安打になった。

幼いときから、兄の背中を追いかけてきた。母理絵さん(45)は「(進学は)兄の試合じゃないですかね。なんでも追いかけてお兄ちゃんのやることをまねする子だった」。その年の夏が過ぎた頃、渉悟さんは「(進路)どうすんだ?」と聞いてみた。弟の返事は「(明石商)行くわ」。その一言がうれしかった。

兄と同じタテジマを身につけ、2年半を駆け抜けた。「甲子園で戦えて良かった。目標はプロなんですけど、まだまだ実力というのがついていないので、慎重に考えたい」。最終戦は4打数1安打。先頭打者として、主将として、納得いく形とは遠かったのかもしれない。「今日のバッティングを見て、課題しか残らなかった。まずは自分の苦手な部分をしっかり認識して、体重が前にいかないように練習していきたい」。すべきことは捉えている。人生の目標をプロに置き、高校野球を終えた。

◆来田涼斗(きた・りょうと)。2002年(平14)10月16日生まれ、兵庫県出身。中学時代は神戸ドラゴンズに所属。180センチ、85キロ。右投げ左打ち。