今夏、山梨大会を制し13年ぶり6度目の甲子園出場を果たした日本航空・和泉颯馬さん(3年=以下、敬称略)の卒業後の進路を取材した。

11月中旬。山梨・甲斐市にある日本航空高校には見事な滑走路がある。滑走路の先に、富士山が見える。晩秋の晴れた日に、和泉は思い描く航路を、余すところなく話してくれた。

高校で野球を辞めるの? 大学に行かないの? 和泉は何度も聞かれた。4番として甲子園に出場し3回戦に進出。3試合で9打数3安打2打点。これからも野球は続けるだろうと、周囲は感じていた。

和泉がその質問に答える時、その口ぶりは自身を客観的に観察してきたような響きだった。

和泉 (3回戦で)智弁学園(奈良)と試合して、こういう選手が6大学やプロになるんだなと感じました。自分はひとつの区切りだと思いました。そして大学に行って野球を続ければ、切羽詰まって就職を考えるのかなとも感じました。それなら、今、しっかり考えて進路を決めた方がいいのかなと。

父貴志さん(49)には、甲子園期間中にラインして、野球は高校までと伝えていた。「それでいいと思う」と返事があった。9月に帰省した際、東洋医療専門学校のオープンキャンパスに出掛けた。実習を見て、体験もして、救急救命士を目指す道が定まった。

今夏、和泉はいくつかの恩恵を受けている。6月、数種目の運動部の生徒が過ごす寮でクラスターが発生した。半月におよぶ完全隔離生活。先が見通せず、部屋でじっとする日々。練習ができない。体が動かせない。最後の夏の大会を前に展望が見いだせない。絶望とあきらめ、あきらめてはダメだと奮い立たせるわずかな期待と希望。感情は入り交じり、はるかに絶望が勝っていた。

転機は訪れる。山梨大会の抽選会で野球部の桜井諒佑部長は山梨高野連・庄司和彦理事長から言葉をかけられた。「野球部の生徒はどうしてる? 希望を捨てるな」。庄司理事長は、誰にでも優しい言葉をかけるタイプでない。どちらかと言えば厳格で、規律を重んじる。

その庄司理事長のごく短い言葉が、干からびそうな和泉の気持ちに染みていく。「僕たちはまだ気にしてもらえている。見捨てられていない。可能性はあるんだ」。

練習不足によるコンディション不良はあった。だが、それを上回るだけの喜びもあった。「地方大会に出場できるだけ奇跡でした」。決勝では富士学苑に2-1で勝利して甲子園出場をつかんだ。

すぐにネット上には批判も出た。「辞退しろよ」「コロナになってんだから出るなよ」。選手の目にも触れた。庄司理事長の言葉とは対極にある。しかし、そうした声も現実とし存在した。

和泉 自分たちが地方大会に出られたこと、甲子園で試合ができたことは当たり前じゃないです。辞退しろと言った方たちには、甲子園で山梨の高校野球のレベルを見せたかったです。日本航空が出場した意味を分かってほしかったです。そして、応援してくれる方たちには、試合を見てもらって、さらに勝つことで喜んでほしかった。

甲子園の土を踏み、感謝の夏を越え、感じている。

和泉 甲子園での一瞬の思い出よりも、2年半の苦しかったことが大きいです。夢の舞台は過ぎ去ったこと。今も胸に残るのは、それまでのつらいことです。野球を嫌いになったこともありました。

甲子園での思い出が、すべての苦しみを忘れさせてくれるわけではない。高校野球を生きた生身の高校生の思いはさまざまだ。和泉にとっては、いかに高校野球の中で苦しみ、その苦しさと必死に向き合ってきたかという自負がある。その時間が濃密であればあるほど、苦しさを自分の財産として、それを生きるエネルギーに、毎日を燃焼させていけるのだ。

和泉の言葉、話す雰囲気に強い独自性を感じた。ありふれた質問をした。好きな言葉はありますか?

即答だった。「好きなことば…、僕は『絶対』という言葉が嫌いです。世の中に100%はないと思っています。だから『絶対』を使わないようにしています」。周囲から試合で必勝を期待されると「絶対勝ちます」とは言わない。「必ず勝ちます。必ず打ちます」と言うようにしているという。好きな言葉を聞かれて、嫌いな言葉を挙げた。そこに自身の価値観を添えて説明してくれた。

救急救命士を目指すにあたり、世界が大混乱した感染症との戦いについて聞いた。医療従事者として、そうした困難に直面することをどう受け止めているのか。

和泉 誰かがやらないと何も起こりません。

端的な言葉には、コロナ禍を経験した強さが秘められているようだ。

何か困難があった時、誰かがまず動くことで、事態は打開へと動きだす。「誰かがやらないと何も起こりません」。18歳のこの言葉は、感染症対策に振り回された世の中で、唯一と言っていいほど、大人にとって一筋の光になるポジティブな兆候に映る。災害、混乱の中、悲嘆にくれる大人から、教訓を見いだす10代、20代がいる。

高校の部活動を卒業する生徒が、こうして救急救命士にかかわろうとする姿に、深く考えさせられた。地に足がついている。1つの目標を定めた時の集中力に、大人は吸い寄せられるようだ。

中2の秋、和泉は大阪市内の自宅で母さゆりさん(46)と過ごしていた。朝9時、さゆりさんは階段で転倒、頭部を打った。「意識がもうろうとしていました。しゃべることはできましたが、頭を強く打っていたのでどうしたらいいのか、焦りました。救急車を呼びました」。

すぐに救急隊員が自宅にかけつけた。不安のあまり血の気が引いた中学生に、救急隊員は冷静に話し掛けた。「落ち着いてください」。敬語で静かな声だった。安心感を抱かせてくれる自信がこもっていた。パニックになっている自分を静めてくれる隊員の気遣いが分かり、和泉は我に返った。「対応が沈着冷静で、安心して母を任せればいいんだと思えました」。

あの時の頼もしい救急隊員の姿が、時を経て和泉の中によみがえってくる。これから専門学校で学び、やがて現場に出て、命を救い、和泉は生きていく。

和泉颯馬の人生には、もう白球は飛ばない。白球を追った日々を自分の血肉として、力強く次のステップを踏み出そうとしている。【井上真】