「湖国の三刀流」に、吉報は届かなかった。昨夏甲子園4強の近江(滋賀)が近畿7枠から漏れ、補欠1位に回った。最速148キロ右腕で、4番を打つ主将の山田陽翔(はると、2年)は「気持ちの切り替えは難しいけど、僕は主将。あと1回、チャンスがあるとみんなに伝えて、頑張りたい」と無念さをかみしめた。「滋賀で日本一」と誓い、近江に入学。最後の夏に再スタートを切る。

昨夏の甲子園は2年ながら全5戦に登板、打っては神戸国際大付との準々決勝でバックスクリーンに1発を放り込み、4強進出の原動力になった。新チームでは主将となり、センバツに出場すればハイレベルな“三刀流”として注目を集めたはずだ。

山田は「金光大阪に6点差を逆転された。あれが原点」という。昨秋の近畿大会準々決勝。あそこで勝っていれば…と思わざるを得ない分、悔しい。甲子園の力投もたたり右肘を故障。秋は背番号1ながら1度も登板できず、滋賀大会を3位でしのぐなど綱渡りの戦いを続けた。センバツ当選を信じ、12月から投球を再開。現在は1日約70球を投げるなど「もう不安はありません」と言い、冬場の練習で体重は4キロ増の79キロへ。身長は174センチ。剛球と豪打を披露する準備を整えつつあった。

甲子園出場春夏通算19回を誇る多賀章仁監督(62)にとっても、山田は特別な存在だ。「普通は甲子園(に行きたい)じゃないですか。山田は違う。本当に日本一(になりたい)なんです」。山田の3つ上の兄優太さんは大阪桐蔭に進んだ。「山田も大阪桐蔭を選んでも不思議じゃなかったのに、滋賀で日本一と思って残ってくれた。ここが違います」と胸を指す。就任34年目の監督歴にあって事実上初めて、迷わず「エースで4番」に主将を任せたという。

近畿2府4県で甲子園優勝がないのは滋賀だけ。滋賀、近江ナイン、多賀監督、そして山田の夢へ。「全国制覇の夢は変わりません」。山田が表情を引き締めた。【加藤裕一】