部員14人で臨んだ多摩大聖ヶ丘(西東京)は、12日の東農大一との初戦を7-3で勝利した。17日の3回戦で早大学院に1-8で敗れたものの、昨秋は助っ人1人を加えて単独出場をしたチームが、今夏は1勝をつかみとった。

躍進の陰で、1人の選手の成長があった。右翼のレギュラーとして出場した加藤遼也外野手(3年)。野球を始めたのは、中学2年の冬だった。

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年少から通い始めたのは、スイミングスクール。幼い頃から水泳一筋で、平泳ぎが得意だった。多摩大聖ヶ丘中学へ進んでも水泳を続けていたが、練習が厳しさを増すと、徐々に心が離れた。「無断で練習を休んだり、行っているふりをしたりしていました」。

練習に戻った時期もあったが、中学2年の春に水泳を辞めた。他の運動は苦手だったため、他の部活動に入り直すこともなかった。

自宅と学校を往復する日々を過ごしていた中学2年の冬。野球部の田中敦内野手(現多摩大聖ヶ丘・3年)から、「助っ人で試合に来てほしい」と声をかけられた。野球はルールすら知らなかったが、必死に頼み込まれたので、人数合わせのつもりでしぶしぶ承諾した。

しかし、いざグラウンドに足を運ぶと、心が動いた。1球ごとに盛り上がり、お互いに声をかけ合う姿が、そこにはあった。

「ずっと個人競技をしてきたんですけど、チームスポーツは周りに仲間がいるので、すごく楽しかったです」

抱いた感情が忘れられず、思い切って野球部に入ることにした。

人数がギリギリだったため、試合には出られたが…。バットを振っても、球が当たらない。フライも捕ることが出来ない。「これ、やってる意味あるのかな」。なかなか上達せず、さすがに諦めたくなった。

それでも、チームメートは見放すことなく、優しく教えてくれた。「野球っていいものだなと思いました」。諦めそうになっても、仲間と一緒にバットを振った。

高校に入って50打席ほど立った頃、努力が報われる瞬間は訪れた。高校2年秋の都大会ブロック予選。ようやく“人生初ヒット”が飛び出したのだ。ベンチを見渡すと、チームメートは自分のことのように喜んでくれていた。

高校3年になり、新1年生4人が入部したが、ゴールデンウイーク以降は打率3割をマーク。「なぜか急に打てるようになった」と苦笑いを浮かべつつも、最後の夏は実力でレギュラーをつかんだ。

迎えた12日の初戦。ヒットこそ出なかったが、送りバントをきっちりと決めて、チームの勝利に貢献した。

続く17日の早大学院戦は、序盤からリードを許す苦しい展開に。しかし、加藤はひるまなかった。2番手の最速143キロ右腕・西山恒斉投手(2年)のボールに対し、思い切りバットを振り抜いた。

打球は中堅へ。ぐんぐん伸びた。中堅手が懸命に背走する向こう側に、白球は落ちた。

1年前に初めてヒットを打った男が、最後は好投手から二塁打を放ってみせた。ベース上で、思わずガッツポーズも飛び出した。

努力を見続けてきた本村哲郎監督(38)は、「初めは感覚としては、0割1分くらいのバッターだったので。きっと夏の大会も自信はなかったと思います」と言葉を並べつつも、こう実感を込める。

「彼からは、コツコツ努力することの大事さを教えられました」

加藤は夏の大会が始まる前、笑みを浮かべながら、こう言っていた。

「部活に行くのが、本当に楽しかったです。それと、チームって結構大事ですよね」

好投手から放った二塁打。手にした夏の勝利。

それは誰か1人の力でつかみとったものではない。

仲間とともに打った1本、チーム一丸でつかんだ1勝だった。【藤塚大輔】