高松商のプロ注目スラッガー浅野翔吾外野手(3年)が、清原和博氏のPL学園時代の記録を超える高校通算65号、66号本塁打を連発した。両打ちながらこの日は全て右打席に立ち、浜風を押し返して右中間へ運んだ65号には、12球団約60人のスカウト陣もウットリ。4打数3安打4打点の大暴れで聖地にその名をとどろかせ、一躍今秋ドラフト会議の目玉候補に浮上した。

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甲子園に衝撃が走った。浜風も浅野のバットを止められない。1点リードの5回。真ん中付近の直球を強振した。両打ち登録ながら、実戦ではほとんどが右打席。逆風を物ともせず伸びる打球は、歓声とともに右中間席へ飛び込んだ。「感触はあまり良くなかった。ライトフライがとられて歓声が上がったと思ったら、審判が手を回していた」。PL学園(大阪)清原和博の記録を超える高校通算65号ソロ。全国に向けて名刺代わりの1発となった。

あの清原をほうふつさせる逆方向への大アーチだ。12球団約60人のスカウトも思わず見とれるなか、7回は変化球をライナーで左翼席へ。「完璧でした」。2打席連発の2ランに、甲子園はどよめいた。8回には1死一、二塁から相手捕手の勘違いで申告故意四球の申し出。直後に取り消されたが、威圧感を物語った。

なぜ、あんなに打球を飛ばせるのか。その礎はプラスチック製のカラーボールにあった。県立高でグラウンド全面を使用できるのは週2回だけ。ピンポン球サイズのボールで打撃を繰り返した。ミートは向上。何より、バックスピンをかけ飛距離が伸びた。浅野も2発目を「変化球にバックスピンをかけるイメージで上からたたけた。カラーボールの練習の成果」と言う。

地元で腰を据えて実力を磨いてきた。高松・屋島中時代は全国大会に出場し、U15日本代表にも選出。当時から有望選手だった。高校進学の決め手になったのは小学生の頃、屋島シーホークスで監督も務めた父幹司さん(53)のひと言だ。「県外に行っても、勝負してみないと分からない。どこでも精いっぱいやったら結果がついてくる」。高松商に進み、技量を磨いた。

昨年12月にはイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)に指導される縁もあった。この日はプレゼントされたバットを「お守り」としてベンチに置いた。長尾健司監督(52)は「遠くへ打つことが得意だが出塁することに徹してやっている」と1番打者として信頼する。昨夏を超える目標の8強へあと1勝。全国に浅野の名を知らしめた。【波部俊之介】

◆浅野翔吾(あさの・しょうご)2004年(平16)11月24日、香川県生まれ。小学3年時に野球を始め、屋島中では捕手。中3時にU15日本代表に選出され、アジア選手権優勝。高松商では1年夏の代替大会からベンチ入り。将来の夢はプロ野球選手で、目標の選手はアストロズの主砲アルテューベ。170センチ、86キロ。右投げ両打ち。