不屈のバットマンが、仙台育英を3年ぶりの8強に導いた。

宮城大会ベンチ外の岩崎は、2点を追う4回1死一、三塁、代打で中前適時打を決める。さらに2者連続押し出し四球で同点としなおも7回1死満塁、今度は初球高めの116キロスライダーを中堅へ運んだ。「1点が欲しい場面で、ゴロでは1点にならない。絶対に外野に飛ばそうと思った」。狙い通りの決勝犠飛だった。

昨年6月に運動誘発ぜんそくを発症した。治りが悪く、複数の病院を回ると、逆流性食道炎、食道裂孔ヘルニアの診断も受けた。寮生だが、宮城県内の自宅で約2カ月療養。しばらくは寝たきりで「もう俺は野球をできないかも」と吐露し、母千春さん(43)は「体がひどかったら、もうやめてもいいよ」と伝えた。それでも、徐々に回復。闘病1年後の今年6月に全体練習に復帰した。

県大会はベンチ入り20人から外れた。須江航監督(39)は「21番目の選手だったんです」。しかし、岩崎は甲子園出場を諦めない。指揮官の許可を取り、全体が守備練習の際は打撃に取り組み、武器の打棒を磨いた。紅白戦でアピールし、今大会は背番号「14」を勝ち取って活躍。須江監督は「病気で長期離脱していたが、勝負強さは頭が下がります」とたたえた。

岩崎は17年、近江・山田、大阪桐蔭・星子らと12歳以下世界少年野球大会で世界一に輝いた。東北初の日本一に向けて切り札となり、かつての仲間と頂上決戦で再会する。【山田愛斗】