常総学院(茨城)の最速154キロ右腕・バルザー・ジョセフ・ブライアン投手(3年)が、9日までにパドレスとマイナー契約を結んだ。父は米国人。2年秋に投手に転向し、公式戦登板はわずか1イニングのみだが、182センチ、81キロの恵まれた体から繰り出される力強い速球が、メジャースカウトの目に留まった。ブライアンは「ビックリしたと同時にうれしかったです。最初は不安もありましたが、ここが勝負。厳しい世界だとは思いますが絶対に成功したい。今はもう自信しかありません」と胸を躍らせた。

素材は格別だ。父マイケルさんは大学まで野球選手、母彩香さんもソフトボール選手というスポーツ一家に育った。「肩甲骨の柔らかさは両親からの遺伝だと思う」と胸を張る。「力強い直球とスピード。打たれない自信はあります」と、まだまだ発展途上だ。

昨年春に右肘を痛めたが、リハビリの間に走り込みやトレーニングを徹底。さらに投球動作の研究などに時間を費やすと、復帰2戦目だった6月19日の明豊との練習試合で154キロを計測した。

夏の大会前にも右肘を痛め一塁で出場。昨年11月3日には先を見据え、トミー・ジョン手術を受けており現在はリハビリ中。それでも球団関係者は「パワー、スピード、投球のバランスと、高いレベル。ケガもあり、まだ伸びしろは十分。100マイルも見えてくる」と期待している。

この才能をいち早く見抜いたのが横浜、ヤクルトなどで活躍した同校の島田直也監督(52)だ。「第一印象は肩が強い子。ちょっと投げさせてみたら馬力が違った。鍛えたら何とかなるかと思ったんです」と、投手転向を勧めた舞台裏を明かす。変化球の投げ方や体重移動のポイント、さらにはクイックなどつきっきりで指導してきた。高校から直接海を渡った日本人選手はメジャー昇格に手が届いていないのが現状だが、同監督は「真っすぐを生かす変化球を覚えれば、可能性はもっと広がる。ケガを早く治して頑張って欲しい」とエールをおくった。

強い意志が夢へと導いた。神奈川・横須賀で生まれ、父の仕事の関係で5歳からは米国に移り住んだ。現地で野球を始めると、幼少期にテレビで見た日本の高校野球を思い出した。ハツラツと元気で、楽しそうにプレーをする姿。「お母さん、日本で高校野球をやりたい」と懇願。小学4年になる手前で帰国し、中学生になる頃には常総学院が憧れの存在に。「ここしか見ていませんでした。やりたいことは絶対に貫くと決めて練習しました」。1つ1つ目標を実現。ケガもあり、公式戦出場はわずか1試合も、大きな夢「メジャーリーガー」へ1歩近づいた。

昨冬、ブライアンは野球ノートに「人生を変えるために」と、目標に「日本一」と大きく書いた。「アメリカに行くからには、世界一の投手を目指したい」。契約を終えた今冬、野球ノートには「世界一」と書くつもりだ。

◆バルザー・ジョセフ・ブライアン 2004年(平16)10月27日生まれ、神奈川・横須賀市出身。父の仕事の関係で5歳のときに米ニュージャージー州に移住し、小1から野球を始める。小4で帰国。大賀ドリームスで最初のポジションは内野手。中学は日立ボーイズ。常総学院では2年秋に、内野手から投手に転向。3年夏は外野手としてベンチ入りしたが、県2回戦敗退。50メートルは6秒4、遠投115メートル。目標とする選手はエンゼルス大谷翔平。好きな芸能人は飯沼愛と永野芽郁。182センチ、81キロ。右投げ左打ち。

◆高校卒業時に米球界に挑戦した主な選手 97年センバツ優勝の川畑健一郎外野手(天理)が、同年にレッドソックスとマイナー契約。現巨人1軍投手コーチの山口鉄也投手(横浜商)も、02年にダイヤモンドバックスとマイナー契約した。メジャー昇格はならなかったが、帰国後巨人で新人王を獲得した。その他では、08年夏の甲子園でサヨナラ本塁打を放った奥田ペドロ内野手(本庄第一)がマリナーズとマイナー契約。また18年7月には、大阪・羽曳野市の峰塚中を卒業したばかりの当時16歳・結城海斗投手が、ロイヤルズとマイナー契約を結んで話題になった。最近では昨夏の甲子園に出場した武元一輝投手(智弁和歌山)が、将来のメジャー挑戦を見据えて米国の大学に進学予定。