慶応・森林貴彦監督(50)は万感の表情でナインを見つめた。就任から丸8年。高校球界に新しい風を吹かせながら、全国の頂点に立った。
慶応高に息づく「高校野球の常識を覆す」の精神を、前監督で恩師でもある上田誠氏(66)から引き継いだ。「上田先生が上下関係などを壊して、練習も効率よくと変えてくださった。エンジョイベースボールというのももともとあったし、自分が変えたものって、あんまりないんですよ」と苦笑いした。
この春、指導の軸となるものを問われると、少し考えて出てきたのは「成長至上主義」という言葉だった。
「勝利至上主義の対比として、ですね。選手が成長できるようにもっていくのが『指導』だと思う。高校野球で終わる子は多いですが、もっと野球をやりたいと思わせたいんです。人生はまだまだ何十年も続く。高校野球は教育の場としてすごく価値が高いんです。負けられない戦い、勝ち負けだけの価値に選手を押し込めてはもったいない。この投手と対戦できて幸せだな、こうやったから成長できたな、などプロセスも楽しんでほしいですね」
自然と答えはいくつか導き出された。選手自身に考えさせることを重視し、指導者は「邪魔をしない」。チームの大事な決めごとはあっても、すべてを管理することはない。「野球は彼らのもの。1人1人から野球を奪ってはいけない」と言葉に力を込める。勘違いされがちだが「勝ちにこだわらなくなればスポーツではない」も持論だ。ただし、勝つためなら何をやってもいいという考えには明確に拒否反応を示す。
慶大で4年間、学生コーチとして母校の高校生を指導したことが原点だ。1度就職したが3年で退職。指導者の道を歩むため、筑波大で学び直した。「コーチング論研究室」に入り、ゼミでは元力士や陸上、アメフト、スピードスケートなど他競技出身の学生と接点ができた。「野球はこうだよ」とトレーニングや慣習を紹介すると驚かれることが多かったという。
「それまで、あまり常識を疑うことがなかったが、だいぶ揺さぶられました。今いる世界の常識にとらわれちゃいけないという感覚はそこでかなり得られたと思う。今でも疑いたいし、違うんじゃないかと思うことがあれば発信することを勇気をもってやりたい」
慶応幼稚舎(小学校)の担任教師という、もう1つの顔がある。甲子園に出ればかわいい教え子たちがアルプス席で応援してくれる。この二足のわらじで全国制覇も果たしたとなると相当めずらしいケースだ。厳しい二刀流も前向きにとらえる。昼間は小学生、夕方からは高校生と向き合うことで視野が広がる。また時間の制約がつくことで、大学生コーチらに指導を託すことが当たり前になった。自然と俯瞰(ふかん)できるため、大所帯のチームをバランスよくマネジメントできている。
「幼稚舎は担任が6年間変わらず、クラス替えもない。目の前の36人が卒業するまで担任をします。それを2周して、今3年生の担任なので21年目になりますね。ありがたいことに一般的な公立小学校の先生より自由度が高い。いろいろな方の理解があってこそです。完璧にはこなしていると思えません。幼稚舎の担任を大会でお休みすることもある。皆さんの協力があって、どちらも面白く魅力的な仕事なので、ここまでできています」
理想とする指導者は「いません」と即答する。理由も明確だ。「いろいろな方の素晴らしいところは感じていますが、理想としてしまうと超えていけない気がする。あこがれてもその人にはなれない。人間のタイプも環境も違うので。自分なりに、置かれている環境でベストを尽くしたいと思っています」。どこまでも柔軟で、貪欲。日本の野球界のルーツとなった慶応の看板を預かりながら、気負いもない。そんな50歳の野球人が令和の時代に新しい勲章をもたらした。【柏原誠】