大阪桐蔭が春夏通算10度目の甲子園制覇を果たした。背番号10の左腕、川本晴大投手(2年)が智弁学園(奈良)を9回6安打3失点に抑え完投した。決勝戦の9回終了試合で15奪三振は101年ぶりという快投で頂点に導いた。打線も初戦を除いて決勝点は適時打ではなく、この日も押し出し四球だった。なりふり構わぬ野球で、甲子園決勝での無敗を守り、中京大中京の11度に次ぐ歴代2位の10度目Vをつかんだ。
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15個目の三振を奪って勝利を決めると、大阪桐蔭の川本がマウンド上で左腕を突き上げた。仲間がはじけるような笑顔で駆け寄った。川本ももみくちゃにされながらはしゃいだ。
「ずっと目標にしていた日本一が達成できたのですごいうれしかった。(18年春夏連続で)優勝した桐蔭に行きたいと思っていた。その桐蔭で、自分で最後まで抑えて導けたのでうれしい気持ちです」
決勝戦の先発マウンドを託されたのは背番号10の192センチ左腕だった。背番号1の吉岡からは「負けたら知らんぞ」といじられた。初回からエンジン全開だった。直球は148キロを計測。スライダーでも三振を奪うなど、3者連続三振で滑り出した。左打者7人の相手打線に対して内角直球を投げ込んだ。6回には高校で初めて本塁打を浴びて同点とされた。「最少失点で抑えれば、こっちも点を取ってくれる」と野手を信じてギアチェンジした。
最後の打者も狙い通りに直球で空振り三振に仕留めるなど15奪三振。「自分のボールを全力で投げられたのが要因」と自信を深めた。9回6安打3失点で優勝投手となり、「決勝で投げ切れたのは一番自信になる。うれしい」と笑った。
体重わずか2300グラムほどで生まれた。未熟児だったが、両親が食事を多く取らせて大きく成長。川本も「その時は結構苦しかったんですけど、今考えれば体に生きてる」と感謝する。高身長を投球フォームでも生かす。近年の高校生では珍しく、大きく振りかぶって投げる「ワインドアップ」から投げ下ろす。よりダイナミックに見せ、相手打者に圧をかけるために高校入学後に取り入れた。
川本が初めて西谷浩一監督(56)と会ったのは声変わりもしていない中学時代だった。初対面の西谷監督に「本物ですか?」と思わず聞いた。憧れた大阪桐蔭を日本一に導いた150球の熱投。西谷監督も「しっかり魂込めて投げてくれた」と目を細めた。
優勝へ導いた16歳は黒川と並んだお立ち台で「下級生からこのような経験をさせてもらってうれしい気持ちでいっぱい」と控えめに笑った。西谷監督は「まだまだ発展途中。やることは山ほどある」とさらなる伸びしろに期待。2年春の日本一は怪物伝説の序章なのかもしれない。【林亮佑】
◆川本晴大(かわもと・はると) 2009年(平21)9月9日、埼玉県飯能市出身。双柳(なみやなぎ)小1年で野球を始め、6年で西武ジュニア選出。24年U15W杯日本代表で優勝。好きなタレント錦鯉。192センチ、95キロ。左投げ左打ち。
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<大阪桐蔭・喜びの声>
大阪桐蔭・谷渕(初戦から4番DHで打線をけん引)「チームが勝てたことは良かったんですが、自分のスイングが全打席でできなかった。何が足りなかったのかをしっかり理解して、課題を1つ1つつぶせるように工夫していきたい」
大阪桐蔭・藤田(川本を好リードしながら、チーム最多の3打点)「川本の良さを出していこうと思いました。球威が落ちることなく最後まで粘り強く投げてくれた」
大阪桐蔭・黒川(頼れる主将が7回に2点タイムリー)「今大会結果が残せていなくてチームに迷惑をかけていたので、ここで打って川本を楽にさせたい気持ちがありました。もう1度夏の甲子園に帰ってきて、日本一を取りたいと思います」
大阪桐蔭・中村(「おかわりジュニア」がスタメン起用に応える先制適時打)「しぶとく1本打つという持ち味が出た。(父への報告は)寮に戻ってから、寮からの固定電話でします」
大阪桐蔭・吉岡(決勝は登板せず)「自分が投げたくてずっと待っていたんですけど、川本があそこまでいいピッチングをしてくれたら何も言うことはない。黒川を中心として全員が日本一に対する思いは今まで強かったと思いますし、全員で戦うのはできていた」
大阪桐蔭・内海(7回に決勝点となる押し出し四球選ぶ)「欲を出すのではなくて、しっかりつないでいこうと冷静に入れた。ヒットよりも価値の大きいフォアボールじゃないかなと思います。(日本一に)うれしい気持ちが一番です」

