横浜が投打にかみ合い、6年連続の決勝進出を果たした。県内の連勝記録を「38」に伸ばし、4季連続甲子園に王手をかけた。
ドラフト候補に挙がる織田翔希投手(3年)は特別な思いで、慶応戦の先発マウンドに立った。「慶応さんは自分としても特別な思いがある。3年間の集大成といいますか、しっかりとここまでやってきたものを出そうという思いでした」。初回から、エンジンをフルスロットに入れた。初球の真っすぐはいきなり156キロを記録。常時150超えを連発し、2回、3人目の打者へ投じた初球はスコアボードに自己最速を4キロも更新する157キロと表示された。球場は騒然となった。
「うれしいというか、びっくりしてるところもあります。でも、脇山(魁音・捕手)としっかりとコミュニケーションを取りながら組み立てをすることができたので、そっちの方が自分としてはうれしいです」と、笑顔でふり返った。キレのいいスライダー、フォークにチェンジアップを操り、慶応打線に付け入るスキを与えず。6回0/3を無安打無失点。あと一歩でノーヒットノーランの好投だった。
“織田物語”の始まりは、実は3年前の慶応戦だった。夏の決勝で、慶応に逆転負けを喫すると、村田浩明監督(40)は、気分転換に家族と九州旅行に出かけた。「自分もね、もちろん今もですが、若輩者で。その時は、すごく悔しくて…」と村田監督。その旅行先で出会ったのがまだ中3の織田だった。もしあの時、慶応に負けていなかったら、織田との出会いはなかったわけだ。「だから慶応が勝ち上がってきた時に織田に『お前でいくぞ。これ運命的なものだからな』と、話したんです」。織田と村田監督。運命的な出会いだった。
あれから約3年。この試合だけは、何としても最後まで投げ抜きたかった。5回、ふくらはぎの上ぐらいをつり、一度治療に。7回には再び異変が。何度も「大丈夫」というジェスチャーを示したが、最後は主将、小野舜友内野手(3年)がバツを手で作った。「一塁の審判さんから『本当にダメだったら代えてもいいよ』と言われたので。織田自身もベストボールを投げられなくて悔しがっていた。そこは決勝戦までに調整してやってくれたら。間違いなくベストボールを投げてくれると思ったので、そこは無理しないようにという思いでいました」。この2年半、一緒に戦ってきた親友だからこそわかる、織田の本心。「自分としては9回投げたかったという思いが強くあるんです。何してんだ!というのはあった(笑い)。でもそれも小野の優しさ。感謝したいと思います」。
23年夏から始まった“織田物語”。いよいよ神奈川の頂点まであと1つ。「甲子園に出ることもそうですけど、まずは神奈川で優勝することを目標にやってる。それで結果につながると思う。しっかりとコンディショニングを整えて、万全の状態で決勝戦に臨みたいと思います」。物語の脚本は甲子園へと続いている。
◆高校生の球速 甲子園では01年夏の寺原隼人(日南学園)が大リーグスカウトのスピードガンで158キロを計測し、球場表示の最速は07年夏の佐藤由規(仙台育英)、13年夏の安楽智大(済美)、25年春夏の石垣元気(健大高崎)が出した155キロ。甲子園球場以外では、19年佐々木朗希(大船渡)がU18の合宿(奈良県内)で163キロ。12年大谷翔平(花巻東)は岩手大会準決勝の一関学院戦で160キロを出している。左投手の甲子園球場表示最速は09年夏の菊池雄星(花巻東)が出した154キロ。スカウト計測では05年夏の辻内崇伸(大阪桐蔭)が156キロだった(球場表示152キロ)。地方大会では今夏、前田侑大(高岡第一3年)が初戦の富山工戦で156キロ、ノーヒットノーランを達成した次戦の富山北部戦で155キロを計測した。

