高校野球、横浜高で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算でも51勝をあげた渡辺元智(わたなべ・もとのり)氏が死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県出身。

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突然の旅立ちに、PL学園(大阪)の元監督、中村順司氏(80)は声をなくした。17日の夕刻、悲報を知った。「寂しくて、残念です」と故人をしのんだ。

PL学園を率いて春夏58勝を挙げた中村元監督にとって、最後の敵将が渡辺元監督だった。退任を決めて臨んだ98年選抜大会。快進撃を続けたPL学園の前に立ちはだかったのが、エース松坂大輔(当時3年)を擁した横浜だった。7回裏まで2-0とリードも、8回に追いつかれ、2-3の惜敗。試合後、中村元監督は内野席前のブルペンで涙にくれる教え子に胴上げされ、甲子園を去った。

春夏6度の甲子園優勝の実績を誇る中村元監督にとっても、渡辺さんは好敵手。「同じ高校生なのに、色のついたユニホーム姿の横浜の選手はすごく洗練されて見えて。そんなチームを率いる渡辺監督は、すらりと背が高くてかっこいい監督さんでした」。中村元監督は退任直後の98年秋、高校日本代表監督に就任。チームのエースが松坂だった。「高校野球の選手らしい、はつらつとした力があった。いい指導をされているんだなと感じました」と振り返る。

東西の名将は退任後、取材などで甲子園をテーマに何度も対談。中元、歳暮を互いに贈り、ともに達筆な字で返礼をする仲に。「大事にしてくれた方でした」と親交は続いていた。

「この夏もお礼のおはがきをいただきました。もう自分は杖を手放せなくて、外に出る機会も減った。中村さんはこれからも高校野球の発展のために頑張られて下さい、と、そういう言葉を書いて送って下さいました」。それが最後のやりとりになるとは、思いもしなかった。「横浜高校の戦いぶりを喜んでおられたと思います」と、優勝を目指す道のりを見届けることができなかった故人の無念を思った。【堀まどか】