仙台市内で開かれた宮城大会の組み合わせ抽選会で、気仙沼向洋の三浦岬主将(3年)はくじを引いた。7月10日の1回戦は黒川との対戦だ。「震災を言い訳にしたくない。プレーと結果で、支援してくれた方に感謝の気持ちを表したい」。決勝で仙台育英に大敗した昨夏を上回る優勝=甲子園出場が目標だ。

 3月11日午後2時46分。打撃練習中だった部員の目の前でグラウンドが地割れを起こした。膝の高さまで水が噴き上がった。「逃げろ!」。部員は走って逃げた。2度場所を変え、約40分かけて3キロ離れた中学校にたどり着いた。川村桂史監督(37)は遠くには逃げられず、入試関連の書類を手に4階建て校舎の屋上に避難した。目を疑うような光景が眼前に広がっていた。足元の4階まで水に漬かっているのに沖合に大きな波が見える。「あれが来たら、もう、だめだ」。何もかものみ込まれた。

 震災から1カ月後の4月10日。2、3年生24人中18人が集まって、気仙沼西のグラウンドで練習を再開した。自宅が流された三浦は、3月11日と同じ、黒の半袖シャツと白いズボンだった。ボールはグラブにうまく収まらない。バットにもまともに当たらない。だが、野球が出来ている。それだけで十分だった。

 校舎は壊滅的な被害を受け、学科ごとに本吉響、気仙沼西、米谷工の3校に分散している。気仙沼向洋から約10キロ離れた、練習場所の本吉響に全員が集まるのは午後5時半すぎ。全体練習の時間は1時間半しかない。それでも、三浦は泣き言は言わない。「自分たちが諦めたら、亡くなった方や、もっとつらい思いをしている方に申し訳ない」。

 避難した時、グラブだけは「みんな自然に持っていた」。それ以外の用具はほとんど流された。打撃練習では「K」の文字が入ったヘルメットを使っている。だが、気仙沼向洋の「K」ではない。岡山・関西から送られたヘルメットだ。ボール、バット、ウエア…。全国から数え切れないほどの支援物資が届いた。24日には愛知県の女性から資金援助を受けて購入した試合用のユニホームが届き、川村監督から部員に手渡された。「これを着ると、全然気持ちが違う」。川村監督は感慨深げだ。7月2、3日に初めて袖を通し、大会前の最後の練習試合に臨む。【今井恵太】