<高校野球兵庫大会:神港学園9-0福崎>◇13日◇2回戦

 耳の不自由な外野手が、兵庫大会で躍動した。神港学園が福崎に圧勝し、初戦を突破。生まれつき両耳が聞こえないハンディを抱えながら強豪で今夏初めて背番号7をつかんだ河田行範(3年)が、9回に公式戦初の適時打を放った。

 三遊間を抜けた打球は、忘れられない一打になった。8回から代走出場し、左翼守備についた河田に9回2死二、三塁で打席が回った。「初球から行く」と心に決めた通り左前打で三塁走者を迎え入れた。3年間で初の公式戦タイムリー。直後に二盗を決め、三盗には失敗も「3年間で一番うれしい試合です」。スタンドの歓声は耳に届かなくても、熱気は伝わっていた。

 音のない世界に生まれた。補聴器をつけても雑音にしかならず、文字や読唇など視覚が頼り。言葉は話せず、意思の伝達は筆談が頼り。だが野球があった。特別支援学校で軟式野球をしていた父純志さん(40=会社員)とキャッチボールをした。成長するにつれ、河田は硬式にこだわった。楠中ではボーイズリーグに所属。強豪校で甲子園を目指す夢にこだわった。

 肩が強かった。「打球音が聞こえない分、視野を広くして味方、相手の動きを見なさい」と純志さんに教えられ、カンのよさは北原光広監督(58)にも認められた。ただ1年夏の練習試合でサインを理解していなかった。「預かった以上特別扱いはしない」と決めていた監督は「ユニホームを脱ぎなさい」と叱った。言葉にならない声をあげ、河田は泣いた。次の試合、チームメートに助けられサインを覚えてきた。1年の秋、初めてベンチに入った。

 平らでなかった野球部生活。間違った言動をしたとき、監督は容赦なかった。あるとき、怒った監督がペンを投げ捨てた。それを聞いた純志さんが「ペンは捨てないでやって下さい。筆談の道具を捨てるということは、お前ともう話さないという意思だと息子は理解する」と訴えた。「河田によって多くのことを学びました」と北原監督は言う。最後の夏、初めての7番は3年間の集大成だった。

 同じ左翼の阪神金本にあこがれ、卒業後はクラブチームで硬式を続ける夢がある。「みんなで甲子園に行きたい」。忘れられない夏が始まった。【堀まどか】