<全国高校野球選手権:光星学院5-0作新学院>◇19日◇準決勝

 光星学院(青森)が、悲願の東北勢初優勝に王手をかけた。エース秋田教良投手(3年)が、6安打10奪三振で作新学院(栃木)を完封。同校初、青森勢としては69年の三沢以来42年ぶりの決勝進出を決めた。先発全員が県外出身者だが、東日本大震災に襲われた「第2の故郷」のためにも大旗を奪いにいく。

 半世紀近く閉じていた扉を、光星学院の秋田がこじ開けた。10奪三振の完封劇で、青森県勢42年ぶりの決勝に導き「まずは光星の歴史(過去最高4強)を塗り替えられてうれしい」と喜んだ。激しい雨でも、集中力は途切れない。中断後、3回1死二塁のピンチで再開したが、変化球で的を絞らせず、落ち着いて後続を断った。6回の先頭からは四球を挟んで4連続三振。今大会、防御率0・35の安定感で頂上に手をかけた。

 金沢成奉総監督(44)と仲井宗基監督(41)の熱意ある指導に「全国制覇を狙う」選手が集まった。仲井監督は94年、金沢総監督は翌95年に八戸へ赴いた。ともに大阪出身で「はじめは見向きもされず、門前払いも多かった」(金沢氏)が、縁もない地で、甲子園常連校に育て上げた。今や中学時代に関西大会を制した秋田ら、有望株が集まるまでになった。

 先発全員が親元を離れて野球に打ち込む県外出身者だが、「第2の故郷」への思いは3・11以降、強くなった。センバツを終え、帰郷した直後の4月7日深夜、最大震度6強の余震に襲われた。選手は停電した寮の食堂に真っ青な顔で集まった。「あの1日だけでも怖いのに、地元の方は、もっとつらい思いをされている」と川上主将。秋田は支援活動を行った避難所で「春の甲子園はテレビで見ていた。夏も頑張って」と期待され、変わった。「昔は甲子園に出たいとしか思わなかったけど、今は東北のために勝ちたいと思う」。

 金沢氏は00年、20世紀最後の大会で4強入りし、こう言った。「21世紀に向けて、東北野球界の重い扉が開かれた」。その後の東北勢の決勝進出は、春夏合わせて今回で4度目。悲願の初優勝まで1勝に迫り、仲井監督は「今は東北の人間。東北の野球がナメられないためには、優勝するしかない。優勝できないという呪縛を解きたい」。力強く宣言した。【木下淳】