<高校野球秋田大会:男鹿工6-2湯沢>◇17日◇2回戦◇こまちスタジアム

 秋田では男鹿工が湯沢に快勝。落合博満氏(58=日刊スポーツ評論家)の秋田工時代の1年後輩、加藤秀夫監督(57)の大胆采配に選手が応えた。

 指導歴33年になるベテランの頭脳はさえまくった。「監督をやっていて最も難しいのが継投とスクイズのタイミング」と話す男鹿工・加藤監督は、その両方をズバリと決めた。5回裏。先発の佐藤翔舞(しょうぶ3年)投手が無死一、二塁のピンチを招くと、畑沢悠貴(同)に交代。ここまで無失点だった左腕を迷わず引っ込めた。2番手の右腕は二ゴロによる1点で傷口をふさぎ、期待に応えた。

 9回表1死二、三塁の場面では斉藤拓人(3年)を代打で起用。「バントのサインを出したことがない」という左の大砲に、思い切ってスクイズを指示。斉藤は1-2と追い込まれながら、外角の直球に食らい付き、結果を出した。「打てそうになかったし、相手が三振を狙うカウントだったから」。“魔術師”のようにゲームを支配した。

 秋田工時代の1年先輩にあたる落合氏とは今でも親交がある。「秋田に戻ってきたら連絡が来る。ボクは運転手ですよ」。和歌山にある落合博満野球記念館内のグラウンドを提供してもらい、キャンプを張ったこともあった。「『好きに使え』ってね。後輩思いの人です」。落合氏の話題中は笑顔が絶えなかった。

 “オレ流”に影響を受けたような“オガ流”監督は今夏限りで総監督となり、裏方にまわる。「次は大館鳳鳴。相手の方が上。でも策はある」。最後の夏。虚を突く采配で台風の目になる。【湯浅知彦】

 ◆加藤秀夫(かとう・ひでお)1954年(昭29)9月20日生まれ、秋田市出身。秋田工時代は内野手。高校時代、落合氏が2日続けて八橋球場で放った推定130メートル弾は今でも忘れられないという。卒業後は一般企業へ勤務したが母校からの説得もあって教師を目指す。秋田大、群馬大と進み、79年に秋田工コーチに就任。4年後に監督になった。その後は男鹿工を指揮して今年17年目。今夏を最後に総監督となる。